50年前の3月、高校1年の春休み、

初めて北海道へやってきました。

 

終業式の日、家へ帰り、上野へ向かい

16時発の特急はつかりで、青森へ、

夜行の青函連絡船で、

翌朝、4時過ぎに函館の地を踏みました。


その後も、周遊券の特性を生かして、

夜行夜行の連続で、あちこちで線路を歩き、

蒸気機関車を撮りまわりました。

 

それからが、北海道へ移住迄の歴史の始まりです。
そういう中で、蒸気機関車を追いかけてきた、

厚岸から落石にかけての根室本線の東端が、

1番北海道らしさを感じた景色でした。

 

今の地、霧多布を選んだのも、

この沿線の景色が大きく影響しました。


この、旅で1番印象が強かったのは、

特別に、C62の3号機が運用され、

その写真を塩谷で撮ったことでした。

 

すでに、

急行ニセコはDD51の重連に代わっていましたが、

以前は、C62の重連が引っ張っていました。

 

更に、最後のC623号機は、引退状態でしたが、

国鉄時代の粋なサービスでした。


縁とは面白いなと思ったのは、

高校2年に成って同級生になった米と

北海道へ行ったという話に成り、

お互いに写真を見せ合うと、

なんとC62の3号機の牽引する客車を、

塩谷で同時に撮っていました。


結局、2年の春休みは、

米と行き帰りと数日間一緒に、

写真撮り歩きました。

米とのトウフツ湖でのツーショット

 

更に、その時、

二人で泊まった原生花園YHの委託でやっていた民家の宿で、西円の菅井ちゃんとも、同宿だったようです。

全く、記憶が無いのが、残念でした。