荻生徂徠の経営学 | 本の音色を聴こう♪

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『アナログ力のすゝめ 結果を出す人がやっているアナログ仕事術』出版


ちょいよしNO.1746
人を使ってその器量を知るというのは、自分の方からその好みを出さず、こうせよああせよと指図をせず、その人の心いっぱいにさせてみることである





今日のちょいよし本

荻生徂徠の経営学/日経BP社




Amazon紹介

江戸時代の独創的な儒学者、徂徠(1666~1728)に市場原理主義を超える思想を見る異色の経営論




目次

第一章 日本経営学の祖…曲芸の士
第二章 徂徠小伝…日本無双之大儒
第三章 礼楽の経営術
第四章 市場原理主義的思惟様式とその解体
第五章 徂徠流経営術の今日的意識




拝読のきっかけ

「荻生徂徠」という名に魅かれてニコちゃん
なぜ魅かれたかというと、歴史本によく出てくる人物なのに、どんな人なのかよく知らなかったからです笑




日本の経営学の祖?

我が国経営学の祖は、江戸時代中期の儒学者荻生徂徠である



このように本書は言い、荻生徂徠を題材にして現代マネジメントを語る意義について次のように理由づけています。
↓↓↓
経営を、ある目的を持った人間の組織を社会の中でどう運営していくかということと定義すれば、企業であろうが国家であろうが、現在であろうが江戸時代であろうが、その本質は変わるものではない(中略)徂徠は、三百年前に、そのことを考え抜いたのである


徂徠の経営観は今でも十分に通用するものだという。
それは、ドラッカーも顔負けするほど。
本書は、歴史を語る時には「現代の視点」ではダメで、「その時代の視点(背景)」で語るべきだと言いますが、徂徠の経営観はそれを考慮せずともよく、時代を超越しているのです。

彼は大変な勉強家(読書家)だったそうで、次のようなエピソードも伝えられています。
↓↓↓
ある蔵書家が破産して庫ごとその書が売り出されることとなった。〆て160両だったという。徂徠は家財一切を売り借金してまでこれを買入れた


今日まで伝えられている歴史上の賢人というのは、本にお金を惜しんでいません。
手持ち財産を投げ打ってまで学びを得ようとする姿勢、現代ではそこまではできなくても見習うべきものだと思います。




原因を取り違えると、対処を間違える

さて、徂徠は経営者を次のように定義しています。
↓↓↓
その家の中には、鬼ババのような老女もおり、めかし込むことばかり考えている女房もおり、総領の甚六のような美男、遊び呆けている三男もおり、ういういしい嫁もいる。また、使用人の中には、老齢となってあまり役に立たない者もおり、長年いるところから態度が大きくなって言うことを聞かない者もいるものだ。何ともしかたのない状況だが、さはさりとてこれを理非を正していこうとしても、手もつけられぬこととなる


組織はダイバーシティ(多様性)を持つものと本書は言います。
これは、その通りなので納得ですうよね。
組織は、人の集まり、個性の集まりですから。

そのため、主人(上に立つ者)は、家人(部下)といのは天から授かったものだから、これらに目をかけ、気長に見守りうまく生かしてやらなければならない、というのです。
このとき、主人として大切なのは〝徳〟なのだそう。

▷徳は孤ならず、必ず隣あり
▷徳なる者は得なり

徳があれば、人がついてきます。
人は得についていきたがる生き物だからです。
主人(上の人)が行うべきことは、家人(部下)の特質を見抜き、それを生かしてあげること。
なぜなら、個人の得意、強みによって組織は活性化し、伸長するものだからです。
↓↓↓
農民は田を耕して人を養い、職人は様々な用具を作って人に使わせ、商人は流通を滞りなく努めて人の役に立ち、武士はこれらを治めて平和を保つのである。それぞれが自分の役目だけを果たしているが、実はお互いに助け合っていて、そのひとつでも欠けたら、世の中は成立しないのだ


別の観点から言えば、これは「ヨコの連携」のことを言っています。
しかし、この「ヨコの連携」、実は自覚していないだけで出来ていることが多いものでもあります。

例えば、「A部署とB部署は連携がされていないなぁ」といった場面。
本当は的確な連携がされているのに、このように言われるのは、それをまわりに「知らせる(衆知させる)」ことが欠如(不十分)な場合に起きるのです。
たったそれだけの理由なのに、第3者が言ったことを真に受けて、むりやりヨコ同士で連携をとり始め、業務が増えてしまい、効率が落ち、業務の質が落ちてしまうという状態に陥ってしまう組織が多い。

原因を取り違えると、対処を間違えるので、余計に非効率になるんですよね。




見出し

話が変わります。
人には「誠実さ」が必要ですよね。

では、「誠実」になるにはどうすればいいのでしょうか。
例えば、上の人が社員に「お客様に対して誠実になれ」と言ったとします。
でも、どうやって誠実力を向上させればいいのでしょうか。

本書はこのために、道具を使えと言います。
それは、誠実さを磨き上げるヤスリのようなものです。
それが以下のくだりです。
↓↓↓
「誠実」を体得できるような「物」を創作することである。「物」は具体的内容をもったものである。従って、例えば「お客様に月いっぺん感謝の手紙を書きましょう」という実践がある。それを繰り返し実践することによって、次第に「誠実」になっていく。あるいは、5S(整理・整頓・清潔・清掃・躾、最近これにSMILEを加えて6Sとしているところもある)の徹底によって、「誠実」が磨かれていく



みやちゃんも、業績の振るわないクライアント様に「整理整頓、清掃」を徹底してやるべきですよ、と定期することがあります。
それはなぜかと言うと、上のくだりの理由と全く同じなのです。
整理整頓など、細部に目が届かない上司が、部下の細部まで見れるわけがないからです。

部下は部下で、あの上司はチェックが甘いから、このくらい手を抜いてもわからないと思っています。
このような組織が成果を発揮できるわけがないですものね。
バブルの頃ならまだしも・・・。




では、今日の〝ちょいよしワード〟です。





今日のちょいよし

人を使ってその器量を知るというのは、自分の方からその好みを出さず、こうせよああせよと指図をせず、その人の心いっぱいにさせてみることである




それはなぜなのでしょう?
↓↓↓
心いっぱいに働かせて見て、その人の器量を知ることが大切だ。その上に功績のある者を賞し、功績のない者は退けなければならない。但し、小過を許すということがあって、小さな過ちを咎めれば、その人は少しの過ちも犯すまいとして、その才知は縮んで働かず、心いっぱいに働くことができなくなってしまう。心 いっぱいに働かなければ、その人の器量は見えてくるものではない




次のくだりも真理を突いていますよ。
↓↓↓
欧米の経営思想に抱く疑問のひとつは、歯車的能力感ということである。社員の能力を。それぞれの部品に当てはめて、その物差しから測っている。(中略)その規格に無理やり当てはめようとするのだ。そして、社員の方も同じ物差しで自己評価する。自らの様々な可能性を探索しようともせず、本業を深く究めようともせずに、資格だとか、スキルだとか、キャリアアップだ とか、外見的なことばかりにこだわっている



努める会社の人事評価制度(ものさし)を使って、自分自身を評価し、自分の可能性を判断してしまうということ。
これはとてももったいない。
人は可能性あふれる存在なのに、自分でその可能性を消してしまうのです。
こうはなりたくないですよね苦笑





今日もいいことが学べてラッキー
着実に進歩しました
最後までお読みくださり感謝


優れた経営学というのは、
人の心を動かすものだと
思いますよね。

↓↓↓

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