today's cyoi-yoshi
法然上人が、わたしを信じてくださっているからです。わたしのような者を、しっかりと信じてくださった。だからわたしも法然上人についていくのです
ブログ860日目、今日のちょいよし本
親鸞 (下)/講談社
Amazon紹介
新しき人間・親鸞を描く渾身の長編小説!
だれよりも深く悩み、時代の闇を生き抜いた親鸞
極悪人も本当に救われるのか?!愛と暴力、罪と罰に苦しみながら、時代の激流に挑む青年の魂の彷徨
目次
吉水の草庵にて
選択(せんちゃく)ということ
法然聖人の目
春の夜の誘惑
犬麻呂と綽空(しゃくくう)
迫りくる嵐の予感
異端のの渦の中で
餌取小路(えとりこうじ)の夜
七カ条の起請文
恵信の選択
綽空から善信へ
遠雷の夏
法勝寺の炎上
首切られ念仏
別れと旅立ちのとき
愚禿(ぐとく)親鸞の海
本書を拝読したきっかけ
親鸞(上)をご参照ください
「なみあみだぶつ」とは
法然上人は、「なむあみだぶつ」と唱えるだけで、どんな者でも救われると説きます
私達は、そもそも、その「なむあみだぶつ」という言葉の意味がわからないので、どうしてそう唱えることで救われるのかもわからない
本書には次のようにあります
↓↓↓
▷なむあみだぶつ、とは、南無、すなわち帰命(きみょう)する、ということ(中略)なにもかもおまかせして信じ、けっして迷わない。その誓を南無という(中略)。そして、あみだぶつ、とは、阿弥陀如来(あみだにょらい)という仏様をお呼びする声。阿弥陀さまは、自分の名を呼び、仏に帰命するすべての人びとを、わが子のようにわけへだてなくすくい、浄土へ迎えようと固く誓われた仏さま
ようするに、「阿弥陀さま、わたしはあなたを信じます」と言っているということだろうか(ね?)
けがれ
「あたしたちは生きて地獄、死んでも地獄なのさ」、この時代の下人たちはみなこう思いながら生きていたのだそうです
この時代(平家の時代)は、〝けがれ〟という考え方があって、それはとても忌み嫌われていたものでした
その中でも最大のけがれは〝死〟でした
平安時代には暫くの間、警察組織は部署名だけあって、配置されている人は一人もいなかったのだそうですよ
身分の高い貴族たちはそのような職につきたくなかったからです――なぜなら、〝死〟を扱うこともある仕事だからです
人々はそれくらい〝けがれ〟を忌み嫌っていました
でもそうすると、悪行がのさばってしまいますよね
このような世を〝末法の世〟といいます
▷末法の世とは、まともに生きていては暮らせない世の中ということだ。正直者は損をし、弱いものはふみにじられ、裏切りと恐怖が支配する時代である。だから、生きていいくために人々はなんでもする
こんな状態ではしかたがないので、必然的に身分の低いものたちが警察職につくようになっていく
それが武士の起こりの一つだという説を聞いたことがあります――最も有力なのは荘園(自分たちの富)を守るための自衛武装ということです
人々は、自分自身もいずれ死んで〝けがれる〟ことをとても畏れました
だからこそ「なむあみだぶつ」でどんな人でも救われるという教えは、一筋の光を指し示すものとなって、世の中に受け入れられていったのだと思います
罪
このような世の中ではいけないと、生まれることも死ぬことも同じ尊きことだという教えが生まれます
▷殺生、ということ一つとってみても、人はほかの生命を食することで生きている。肉食をさけることはよい。しかし、稲や麦には命はないのか。草や、木にも、仏性(ぶっしょう)がある(中略)。牛にも、魚にも、鳥にも、そして粟や稗にも命があり、生きる本能がある
▷牛馬をほふり、魚獣をとり、戦で人を殺すものだけに殺生の悪を説くのはまちがっている。その獲物を食らい。武者を操りながら、贅沢な暮らしをつつけているわれらも同じ悪を背負っている
世の中、食物連鎖ですからね
生きるあらゆるものは、他の生命を食すという〝罪〟を犯して生きているわけです
そもそも、これを〝罪〟というのもおかしな気がします
話は飛躍しますが・・・問題なのは、現代の日本の人々がこの感覚を忘れてしまったということでしょうか
学校の給食で、「給食費を払っているのだから、うちの子に『いただきます』を言わせないようにしてください」という親もいるということですから・・・
信じる
黒面法師という悪僧が、綽空(しゃくくう/親鸞のこと)に「では、そなたはなぜ法然を信じるのだ」と問います
このシーンは、「念仏ひとつで救われる」という法然の教えを否定し、十悪五逆を尽くして自分が救われないことを証明すると曲がった生き方をしている黒面法師が、綽空に何とか「なむあみだぶつ」を否定させようとして問いただすものです
この時、綽空は、寺に押し込められ、手を縄で後ろにしばられて、火をつけて殺されようとしています
綽空は答えました
↓↓↓
▷「法然上人が、わたしを信じてくださっているからです。わたしのような者を、しっかりと信じてくださった。だからわたしも法然上人についていくのです」
ビジネスシーンでも同じだなと思います
このような信頼関係を部下と構築したいものです
そのとき、上司が部下を信じるのが先か、部下が上司を信じるのが先か、と聞かれたらあなたならどっちだと答えますか?
みやちゃんは、あえてどっちかと決めるなら「上司が部下を信じるのが先」だと思います
今日のちょいよし
法然上人が、わたしを信じてくださっているからです。わたしのような者を、しっかりと信じてくださった。だからわたしも法然上人についていくのです