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今日の紹介は、小説 立花宗茂〈上〉 (人物文庫)/学陽書房
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―today's cyoi-yoshi―
まさに、鎮西一、武勇もまた鎮西一である
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■本書を拝読したきっかけ
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立花宗茂を知ったのは、白駒妃登美さんの講演でした
立花宗茂は、豊臣秀吉に「鎮西一の勇者」と言われた武将です
「剛勇鎮西一」というのが、立花宗茂の異名だそうですが、「その忠義、鎮西一。その剛勇、また鎮西一」と、秀吉に忠義も武勇も九州随一であるという意味で褒め称えられました
そんな宗茂の小説を探していたら、先日の日曜日に本屋で見つけたので即購入
■2人の父親
関ヶ原で石田三成に味方をして、結果領地を募集されたにもかかわらず、20年後に徳川秀忠によってもとの領地に戻されています
(このあたりは過去記事:男の値打ちは「度量」で決まる)
関ヶ原の豊臣方大名の中でそのような扱いを受けたのは立花宗茂しかしません
家臣にも領民にも慕われるとても情の深い、しかし勇猛な武将でした
その人格の形成に大きく影響したのが、2人の父親の存在でした
立花宗茂は、立花道雪と高橋紹運(じょううん)という父がいます
高橋紹運が実の父親で、立花道雪に請われて養子になりました
この2人の父親どうしは、年は離れているものの、大友宗麟を支えた二本柱の武将で、当時対抗していた島津氏との戦いで命を落としています
大友宗麟は、かなり異質なところがありました
キリシタンとなってからはその異質さに拍車がかかります
結果、どんどん威光を失い、家臣に見限られて裏切りが横行、その力を急速に失いつつありました
それを命をかけて支えたのがこの2人だったのです
立花道雪は、柳河城を攻めている途中で病気で亡くなりますが、その遺言が武将らしい
▷いいか、おれが死んだら遺体に鎧を着せ、兜をかぶらせて、この近くの吉見岳に埋めろ。吉見岳から、柳河城を睨みつづける。お前たちは、俺に代わって必ず柳河城を落とせ
こう言って息を引き取りました
この時、立花城で留守を守っていた宗茂はある英断をします
▷遺言を守って、養父殿のご遺体を吉見岳に葬ったとしても、まもなく島津の大群が襲う。養父殿の遺体も、その馬蹄にかけられる。忍びない。この立花城にお連れ願いたい
それを伝え聞いた当地の高橋紹運がこれまたすばらしい。宗茂の言葉を聞き、それなら亡き道雪の遺言に背くことになるため切腹しますという2人の家臣に対して言います
▷2人の気持ちはよくわかる。しかし、ご遺命の真意は、柳河城を落とすことにある。われらは、恥を耐え生き残って、必ず柳河城をこの手にしよう。それが道雪殿に対する何よりの供養だ
戦場という異質な状態の中、亡くなった人への想いという対処の難しい問題に、冷静に優先順位と重要度を合い交えて判断しています
すばらしいリーダーシップですよね
この高橋紹運も、島津の攻撃から岩屋城を守りながら、ついに絶体絶命にいたり、「もはやこれまでだな、討って出よう」と敵陣の中に切り込んでいきます。そして、「敵の手にかかるのは無念である」と言うと、高い櫓の上に登り、「島津勢にもの申す!高橋紹運の最後を、しかと見届けよ!」と敵の見る中で腹を切りました
現地には今も「嗚呼 熾烈 岩屋城」という石碑が建っているのだそうです
高橋紹運を破ると島津は、宗茂のいる立花城を包囲します
そこで、籠城戦が始まるのですが、家臣の内田鎮家の知略などもあり、秀吉の援軍が到着するまで持ちこたます
秀吉の軍勢が九州に入ると形勢が逆転、島津はきびすを返し引き上げますが、それを追討して宗茂は手柄をたてます
その直後に秀吉に拝謁し、秀吉から「鎮西一の勇者」と褒め称えられました
▷者共聞け、先般、恐れ多くも帝のご命令によって、おれが発した御教書(みきょうしょ)に対し、協力するものはほとんどいなかった。しかし、この若い立花左近だけが、孤城にこもり、島津の大群にびくともせず、節を守りとおした。さらに長い籠城にも少しも気を屈することなく、島津家が引き揚げるとみるや、ただちに追い打ちをかけて、多数を討ち取った。(中略)まさに、鎮西一、武勇もまた鎮西一である。わが上方にも、このような若者があろうとは思われぬ。見事である、それぞれ、範とせよ
九州統制が成ったとき、秀吉は宗茂に柳河城を居城として与えました
立花道雪が「睨みつづける」と言った柳河城、宗茂が入ったあとには「見守りつづける」に変わったのでしょうね
その暖かい父のまなざしが、一度は領地を失うものの、数年後に再び領主として戻るという奇跡を生み出したのかもしれません
■では、今日のちょいよし
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まさに、鎮西一、武勇もまた鎮西一である
毎日私たちは〝志事〟に仕えています
このように言われたいものですね
では、今日も顔晴りましょうか!
☆今日もいいことが学べてラッキー、着実に進歩しました
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☆今日も最後までお読みくださり、みなさまに感謝
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