母の日(5月12日・日曜日)には

投稿が間に合いませんでしたが・・・。

今年の3月14日に、満95歳で他界した私の母

について、生前のエピソードを一つ。

 

この話は、母の告別式(近しい親族のみでの家族葬)で、

喪主のお礼の挨拶の中でも触れたことですが。

(誰も知らないエピソードであろう…と

いうことで・・・)

 

その前に・・・、母の告別式は3月17日(日)に

行うことになったのですが、

何とその日は、先に旅立っていた父の本命日。

まるで、今は亡き父が迎えに来たかのようでした。

 

(金婚式の写真から、知人の作家さんに描いてもらった父母のパステル画)

 

話を戻しましょう!

1976年(昭和51年)の大晦日、

福岡から帰省していた私は

母と一緒に紅白歌合戦を見ていました。

当時私は、福岡にある九州芸術工科大学の

確か3回生だった…かと。

 

そこで、私と同い年の歌手・野口五郎氏が

「針葉樹」を歌った際に、母は

(特にファンだった訳でもないのに)

「これ、イイ曲だね!」と呟いたのです。

(失恋男の、別れの歌にもかかわらず)

 

「針葉樹」は、こんな曲&歌詞でした。

 

(当時のレコードジャケット)

 

木枯らしの吹き荒ぶ中、

枯れることなく緑色を保つ、

松などの針葉樹の凛々しさを称えた歌詞に

感銘を受けたのだと…その時は、思っていた。

 

しかし・・・今、改めて考えてみると、

母はその時、私の高校時代のことを

思い出していたのではないだろうか?

 

私の出身高校は、

岡山操山(そうざん)高等学校という

所謂、普通科の進学校でした。

超田舎(当時はお邑久郡)にある自宅からは、

自転車と電車(当時は国鉄)を

乗り継いで、片道1時間ほどかけて

岡山市内の中心部まで通学していたが…。

 

実は・・・、

その高校の校章が、松と柏だったのです。

 

 

校歌の歌詞にもあるのですが、

「・・・(みさお)の山にいや高く

常盤(ときは)のみどり照り映えて

空に気高き “松と柏(まつとかし)・・・」

 

以下の論語のコトバに由来しており、

「松柏(しょうはく)の精神を持て!」と、

折に触れて言われていたような・・・。

 

氏曰く、「歳(とし)寒くして、然る後に松柏の

彫(しぼ)むに後(おく)るるを知るなり」と。

 

[口語訳]

氏曰く、「寒い気候(冬)になって初めて、

松や柏が(他の多くの植物の葉が枯れ落ちる中で)

枯れないで残ることが分かる」と。

 

[要旨]

「危機や苦難の時に初めて、

環境の変化に左右されない強さを持つ

人の真価が分かる」

 

 

どうだろう・・・!??

 

紅白で野口五郎氏の「針葉樹」の曲を

聴いたとき、おそらく母は、私の高校時代に

どこかのタイミングで耳にしていた

校章の「松と柏」のことを思い出した

のではないだろうか???

 

野口五郎氏の歌は、おそらく語呂の関係で

「針葉樹」という表現になったのであろうが、

意味的には「常緑樹 ≒ 松と柏」と同じハズ。

 

父も母も亡き今、私や妻など

残された親族は、これからも多くの

苦難に出くわすこともあるでしょう。

 

 

あの紅白を一緒に聴いた時の母の呟きは、

きっと私に・・・、

 

「寒い木枯らしの中でも凛々しく緑を保つ、

針葉樹のように強く生きなさい!」

 

言いいたかったに違いありません。

 

無言ながら、母の心からのコトバ・・・

『冬が来ても、あなたよ枯れるな!』

『春を目指し、あなたよ輝け!』

を胸に、(母の日に改めて)

父母に感謝しながら、これからも

チャレンジングに生きて行こうと誓おう!!

 

 

 

尚・・・、

去る「2024年4月29日(月・祝)」には、

母の四十九日の法要と納骨を

無事に終えることができました。

皆さまには、心より感謝申し上げます。