一つ前のブログにも書きましたが、

私はテレビっ子(否、TVおじさん?)で、

TVドラマを(再放送のものも含め)

よく(録画もしたりして)視聴します。

 

録画して欠かさず見ていた

お気に入りの連ドラも、結構たくさん…。

 

例えば『特捜9』

 

例えば『ドラゴン桜』

 

例えば『TOKYO MER』

 

例えば『刑事7人』

 

例えば『緊急取調室』

 

・・・etc.

 

それぞれに特徴的な

異なる魅力がありますが、

今、改めて振り返ってみると、

共通する( “裏テーマ” とも言える?)

ある「キーワード」が浮かんできます。

 

それは・・・『仲間』!!

 

 

私がまだ中学生の頃、

「友達が多いのは、イイこと!」

「友達100人、できるかな?」

・・・等のプレッシャー

を感じるような(少なくとも私は)

社会的な風潮があったように思います。

 

当時、私には決してたくさんの

友だちはいなかったように

記憶しています。

 

そんな私は、今は

株式会社の経営者ながら、

実体は・・・

「1人社長」

「1人クリエイティブディレクター」

 

おそらく今後も、

デザイナー、アートディレクター、

フォトグラファー、営業などを

社員として雇用することはないと思います。

 

責任を持つべき社員やその家族がない

(ある意味、気が楽な)代わりに、

いわゆる『仲間』がいない

とも言えそうです。

 

仕事を一緒にする(依頼する)

パートナー(外部の人間だが)が、

『仲間』と言えなくもない・・・!??

 

でも・・・、同じ釜の飯を食べる

同じ会社の “仲間” は、今も、これからも

いないのです。

 

でも、それが、私が自分で

選んだ道なのです。

無い物ねだりはできません。

 

 

『仲間』と言うと・・・

同じ会社の同僚に対するよりも

(少なくとも私は)

学生時代の同じ部活メンバー

の方が、ピンと来ます。

 

私の高校時代の部活「美術部」の

メンバー同士は、いくらか学年も超えて

今でも付き合いがあります。

 

気の合う『仲間』と

言えるのかなぁ〜〜!??

 

 

 

 

そう言えば(4年ほど前のことだが)

私には、こんな『仲間?』がいました。

『ノラの会』のメンバーたち。

 

 

『ノラの会』の「ノラ」は、

群れることを嫌う(群れを成さない)

「ノラねこ」の「ノラ」だ。

 

群れないけど、一匹狼の凶暴さはなく、

マイペース、自然体?・・・

だから、ノラねこ!?

 

普段はそれぞれ、一人ひとりで

自分のことに取り組み、

気が向いた(気が合った?)時だけ、

集まり、食べたり飲んだり

しながら喋りたおす・・・。

 

そんな『仲間』との時間は、

もちろん楽しかったけど、

何より、心地良かった。

 

会の発足の経緯は、

今ははっきりとは覚えていないが、

何となく自然発生的だったような・・・。

 

明らかなことは、もしも私が

起業独立していなかったら、

(サラリーマン・クリエイターだったら)

こんなスゴいメンバーとの出会いも、

会への入会もなかっただろう

ということです。

 

今、メンバーそれぞれは

自身のことで忙しくもなり、

集まりはフェイドアウト・・・!??

 

それが、「ノラ」なんだろう。

 

 

今、コロナ禍の中で、

「よっとも」を整理する!??

とか、

(SNSの普及などもあり・・・!?)

「ぼっち」は恥ずかしくない!!?

などの情報がTVでも

取り上げられたりしています。

 

ステイホームやリモートワークなど

日常生活の変化に伴って、

友だちや知人との関係性、

コミュニケーションの取り方

にも変化が生まれているのでしょう。

 

今は、改めて

「友だち」「仲間」などに関する

自身の価値観を見直す

チャンスなのかも知れませんね。

 

 

以前読んだ本に、こんなのがあります。

パラドキシカルな(逆説的な)

タイトルに惹かれて買った記憶があります。

 

「友だちをつくるな」

 

起業は、1人でしろ!

 

群れずに1人で頑張っていると必ず、

応援してくれる人が現れる!

 

こんな内容を、今も覚えています。

(当時の自分の状況を改めて

肯定したかったのだと思います。)

 

 

また、かの「田坂広志氏」の著書

「仕事の思想」には、

 

 

 

こんなことも書かれています。

 

互いに言葉を交わすことがなくても、

無言の励ましを送りあうことができる友人。

それが、私にとっての、

「友人」ということの意味です・・・と。

 

孤高に努力・精進を

重ね続けていれば・・・

いつか、きっと・・・

どこかの高み(頂上?)で

「再会」する・・・と。

 

そのことを信じて、私は

登り続けていくだけです・・・とも。

 

 

う〜〜〜ん、深いっ!!

 

 

 

 

 

 

 

 

高齢者の仲間入りをした(65歳を過ぎた)

今も、テレビっ子(否、TVおじさん)の私。

相当な “ミーハー” であることも

自認している。

 

それほど多読ではないが、読書は

好んで行っている。

しかし今、私は小説(文学作品)は

一切(ほぼ)読まない。

(少し前のブログにも書いたが・・・)

 

ビジネス書、マーケット・トレンド情報の書、

アート関連書籍、自己啓発書などだ。

 

でも、ある人は言う。

優れた小説から、叙情的な表現や

レトリックの妙などを

学ばなければならないと・・・。

 

ならば私は、それらをTVドラマから学ぼう!

って、勝手に理屈を付けて

テレビっ子(TVおじさん)を続けている。

 

あるいは、広告宣伝を生業にしている

ので、嫌でもTVは見なければ

ならないのだ・・・とも。

 

刑事ドラマ、医療ドラマ、法曹関連ドラマ、

企業ドラマ・・・。

恋愛ドラマは、最近はあまり・・・。

 

録画したTVドラマを視聴する際、

私は一切、CM飛ばしをしない。

その都度のリモコン操作も面倒なのだが、

くだらないモノも含めて、今流れている

CMを見ておくこともとっても大事だから

・・・なんてね。

 

 

そんな中、最近熱中した番組は、

次の2つ。

 

『TOKYO MER』

 

 

そして、

 

『ボイスⅡ』

 

 

 

視聴率は、圧倒的に前者の方が

上だったようですが・・・。

 

私がまだ独身(社会人)の頃、

「唐沢寿明に、似てますね!」

って言われて、

調子に乗ってた記憶が今も残っており、

(誰に言われたかって??

飲み屋のお姉さんからだったので、

信憑性は全くないのだが・・・ww.)

『ボイスⅡ』も見ない訳には

いかなかったのです。

 

 

毎週、待ちわびながら

この2つのドラマを見ていて、

思い出したのが・・・

 

アルフレッド・ヒッチコック

(Alfred Hitchcock)[1899~1980]

 

 

米国の映画監督。

英国生まれで、1939年に渡米。

スリラー・サスペンス映画の第一人者。

「サスペンス映画の神様」とも称される。

代表作は、「レベッカ」「めまい」

「サイコ」「裏窓」「鳥」など。

 

観客をハラハラさせながら

自在にその気持ちを誘導する

「ヒッチコック・タッチ」とよばれる話術で、

世界の映画ファンを魅了した。

(以上、Wikipediaより)

 

確か、作品のどこかワンシーンに、

さり気なく自身が映る

(ほとんど分からないように出演する)

ことでも有名だった。

そこだけ真似する、凡庸な

アマチュア監督もいたのでは・・・??

 

 

もう、いつのことだったのかも

思い出せないのだが・・・、

おそらく20代後半の独身時代、

書籍(or雑誌)のタイトルさえも

覚えていないのだが、

ヒッチコック監督に関する記事を

読んだ記憶がある。

 

彼は、映画制作を始めた初期の頃、

ある作品を作り上げた。

ハラハラ・ドキドキさせた上で、

最後のクライマックスシーンで

助けが間一髪間に合わず、バスが爆発して

主人公を死なせてしまったそう。

 

その結果、それはそれは大勢の視聴者から

非難轟々の嵐が・・・。

 

それ以来彼は、ギリギリまで

ハラハラ・ドキドキさせた上で、

最後の最後には救わなければ

ならないと悟った(決めた)

らしいのだ。

 

 

先の2つのTVドラマを見て、

このヒッチコックのエピソードを

何十年か振りに思い出した。

 

 

『ボイス2』では、第1話から

主要な出演者(班長役の増田昇太さん)が、

命は助かると思っていたのに、

ギリギリ引っ張って引っ張った上で

殺されてしまった。

 

 

結局、その時彼は死んでいなかったと

後になって分かるのだが、

最初にその命を落としてしまう

シーンを見た時に私は、

言いようのない切ない気持ちになった。

呆然として、何だかとっても虚しい、

非常に心地良くない感情に

包まれてしまったのだ。

 

終盤で、準主役級のトオル(増田貴久くん)

が銃で撃たれた時も・・・。

 

 

病院に運ばれ、ギリギリまで治療を

受けて・・・命は取り留めるのか

と思っていたのに・・・

 

結局、亡くなっちゃった。

 

「えっ、ここで殺さなきゃ

ならなかったの???」って、

何ともやり切れない気持ちになってしまった、

私は・・・。

 

 

『TOKYO MER』でも・・・。

いつも最後には、

「・・・負傷者◯◯人、・・・死者

0(ゼロ)人」というのが、

お決まりのフレーズだった。

 

いろいろな伏線も交えながら、

ずっとギリギリまでハラハラ心配させながら、

一度絶望しかかっても結局

最終的には(奇跡的に・・・)

命が助かっものだった。

 

それで視聴者は、固唾を飲んだ後に

爽やかな後味を感じたのだ・・・と思う。

 

それが・・・、それが・・・

 

終盤のドラマチックで感動的なシーンの後、

主演のチーフの妹役

「涼香ちゃん(佐藤栞chan)」を、

最後には助かるだろうと思わせておいて(?)、

・・・・・死なせちゃったんだ。

 

 

私的には、「えーーーっ!??」て、感じ。

 

ネット上でも、「涼香ロス」という

言葉が飛び交ったらしい。

 

 

そこで、視聴者の期待や予想を裏切り、

涼香ちゃんを死なせる必要(意味)が

果たしてあったのか??

 

 

もしも、万が一、仮に私が、この脚本や演出に

関わっていたとしたら、

きっと・・・最後の最後には助かる

ストーリーにしたことだろう・・・。

 

妙な苦味のある後味は残さずに・・・。

 

 

どちらのドラマにおいても、制作者側は

 

たっくさんのドラマや映画や小説を

見たり読んだりしている経験豊かな視聴者に、

最終的に予想通り、期待通りの結末を

届けることを躊躇したのではないのか??

 

全く意外な結末を届けることによって、

衝撃を与えて強く印象付けることを

狙ったのではないか・・・??

 

なんて、ひねた考えに陥っている

今日この頃の私です。

 

もはや、日本のドラマ界には

かの「ヒッチコックの思想」

残っていないのだろうか・・・

何故、今回このテーマを選んだか・・・?

 

それは先月、当社のあるクライアントを訪問した際に、

入社後約1年4ヵ月の2名の若手スタッフから

プレゼンテーションを受けたのがきっかけ。

 

気持ちのこもった素晴らしいプレゼンでしたが、

その席での取締役からの言葉が印象的だった。

「当社では入社後3年も経つと、研修と実地訓練によって

皆んな、聴衆を “泣かせる” プレゼンが

できるようになる。」・・・と。

それは、スゴい!〜と思った。

 

一方、私はある時期、

プレゼンで “笑いを誘う” ことができたら

勝ちだ!!〜と思っていたこともある。

 

“涙” か? “笑い” か?

さて、皆さんはどちらがスゴい!

と思われますか?

 

真面目に考えるならば、“泣かせる” 方が

聴衆の気持ちにより深く働きかけ、

より強い感情移入を起こしたであろうから、

ある意味スゴい!と言えるかも知れませんね。

 

でも、プレゼンで(特にコンペの時とかの)

“笑いをとる” って、相当な腕がいる

と、今でも思っています。

そして、結果への影響も相当大きいと・・・。

 

 

私も社会人になって(この広告宣伝や

販売促進を生業にして)以来、

早、43〜44年になろうとしていますが、

これまで(おそらく)何百回という

プレゼンを経験してきました。

 

そこで今回は改めて、プレゼンテーション

についての考え方を

(できるだけ)整理してみたいと思う。

 

 

プレゼンについて考える時、

まず思い出す(思い浮かべる)のは、

私のメンターの1人でもある

プロデューサー「故・藤岡和賀夫氏」。

彼は電通社員時代に、いくつもの

業界の歴史に名を刻む

伝説的なキャンペーンを手がけて来た。

 

1970年の(旧)国鉄の

《ディスカバー・ジャパン》キャンペーンは、

藤岡氏が行った超・エポックメイキングなモノ。

 

 

このキャンペーンのポスターの

ビジュアルのプレゼンの際に彼は、

当時の国鉄の幹部スタッフを前にして、

このデザイン案を提示しながら

戸惑う彼らにこう言ったのだ。

 

「皆さん、本当にこのポスターを見ても

よく分からないんですね。

それを聞いて私は逆にホッとしました。

皆さんに分かるようなポスターだったら

若い娘(こ)には受けませんもの。

これでヒット間違いなしです」と。

 

 

藤岡氏は当時、業界のプレゼンで

ありがちだった(私もよく行っていた)、

先ず、当該業界の分析や課題について語る

ということを良しとしなかった。

その業界の現状や課題は、相手(クライアント)

の方が、当然良く知って、理解しているモノ。

そこを語るのではなく、

自分の「コミュニケーションのプロ」

としての土俵に相手を誘って話を進めるのだ・・・と。

 

 

 

私のもう1人のメンターである、

クリエイティブディレクター、CMプランナーの

「故・岡泰道氏」について語ろう。

クリエイティブエージェンシー

「タグボート」の代表者でもあった岡氏。

 

彼は自身の著書の中で語っている。

 

 

「プレゼンで勝とうとしてはいけない」

「上手いプレゼンは怪しい」

「問題は、悪い企画を上手く話そうとすること」

「私は、プレゼンのリハーサルはしない」と。

 

つまり・・・、

相手に迎合せず、自身の頭と感性で

死ぬほど必死に考え、

“天使が舞い降りた“ その結果を

本音で、しかも自然体で語ることが

良いプレゼンだと言っている

のではないだろうか??

 

あるいは・・・、要は

「企画・アイデアの中味次第だ」とも!??

 

 

 

また、かの「田坂広志氏」は

自身の著作「能力を磨く」の中で

こんな話をしている。

 

 

コミュニケーションの80%は、

ノンバーバル(非言語的)だ。

 

すなわち、コミュニケーションの80%は、

言葉によるものではなく、

眼差しや目つき、表情や面構え、仕草や身振り、

姿勢やポーズなど、言語以外によるものである。

・・・・・

この「非言語的なコミュニケーション力」

を磨くことが非常に重要である・・・と。

 

 

コロナ禍でのドイツの「メルケル首相」と

我が国の「菅首相」との演説・会見での

説得力の違いを持ち出すまでもないだろう。

 

 

ただ、プレゼンにおいては

相手(クライアント)を説き伏せてはいけない!

とも言われる。

完全な説得力を持って、理路整然と

異論を挟む余地のない説明は

返って、十分な納得を生まない!

 

クライアント自身が考える

「余地」や「余白」が必要なのだ。

 

論理的に完璧な内容でプレゼンできた

と思っても、コンペで負けることも多い。

こんな話もある。

 

あるコンペにおいて、十分満足のいく

申し分のないプレゼンができた

と思ったA社に対して、

クライアントの担当者が言った。

「御社のプレゼン内容は、非の打ちどころのない

とても素晴らしい内容だったと思います。

ただ、B社さんのプレゼンを受けて

私たちは、『何だか、元気が出そうだった』。

ですので今回は・・・」と。

 

う〜〜ん、深い!!

 

 

また、以前に別のブログでも紹介した

クリエイティブディレクター「原野守弘氏」は、

著書「クリエイティブ入門」の中で語っている。

 

 

尊敬するクリエイティブなストラテジスト

「岡崎孝太郎氏」からプレゼンテーション

について指南されたことは、

「映画のようにプレゼンをつくれ」

だったと。

 

プレゼンテーションの目的は、

説明することでも、理解させることでもない。

聞いた人の「感情を揺さぶる」こと。

 

岡崎氏が教えてくれた、たった一つのことは

「感情に訴えろ」

ということだった、と。

 

 

ここで、最初の問題に立ち返ってみよう。

 「泣かせるプレゼン」か?

「笑わせるプレゼン」か?

 

「映画のようなプレゼン」を!!

ということであるならば・・・

 

要はその映画で、

「涙」を誘うのか?

「笑い」を誘うのか?

だっ!!

 

これはもう、プレゼンターの

考え方次第ではないだろうか?

 

 

結局、なかなか整理できず、

取り止めのない話になった

かも知れないが・・・??

 

 

私自身は、「笑い」を目指したい。

 

 

ここで、以前のブログでも紹介した

ロボット博士とも言われる

森政弘氏」が唱える

《非まじめ》を目指したい。

 

 

 

《非まじめ》は、単なる「ユーモア」ではない。

敢えて(誤解を恐れず)換言するなら、

もっと高尚な(?)

『ウイット(機知)』に富んだ表現!!

 

 

 

必死に考えに考えて考えて考えて・・・、

天使が舞い降りた上で、

ウイットに富んだ自然体のプレゼンで、

思わずクスッとなる「笑い」を狙いたいのだ!

 

 

コロナ禍の中、私もご多分に漏れず

人と直接会ってのコミュケーションが

激減し、 何だかモヤモヤとした

フラストレーションというか

ストレスというか・・・が蓄積し、

読書もママならない時期が

続いていましたが・・・。

 

また、仕事上でもプライベートでも、

「イイこと」と「良くないこと」が

同時に発生し、複雑な精神状態で

あったりしましたが・・・。

 

ここ数日で何とか気を取り直し!?、

少し前に購入して気になっていた

この本を読み終えることができました。

 

 

期待以上の面白さでした。

 

「プロセスエコノミー」という言葉は、

キングコング・西野亮廣氏の

オンラインサロン上のコメントで

少し前から知っていました。

もともとは、「けんすう」さんが

使い始めたそうですが・・・。

 

最終的な完成品・成果物で稼ぐ

のではなく、その発想から制作途中を

公開し、ファンを作りながら共感を

共有していく。そして、その過程を

マネタイズする・・・ということか?

 

この本を読み進めて行くと、

どんどんと色んなことが

並行して想起されてきました。

 

例えば・・・こんな本などが!

 

 

 

 

 

また、私自身の過去のブログのことも

思い出したのです。

もしお時間許せば、以下の2本を

読んでみてください。

 

 

 

 

 

爆発的な情報発信量の増大が続き、

世の中や物事の未来が見通せない

(全く予測がつかない)

現代においては、特に

私たちの広告宣伝や販売促進、

ブランディング等の業務は、

どんどん難しく(でも、楽しく?)

なってきてしまいます。

 

そんな中、この本を読み進めるうちに、

以下のような事柄が、この

「プロセスエコノミー」

を軸に、

縦横に繋がっていることが

どんどん分かってきたのです。

 

《ファンベース》

《アンバサダー・マーケティング》

《ファンコミュニティ》

《EX:エンターテインメント

トランスフォーメーション》

 

『セカンドクリエーター』

『共犯者』

『ファン同士を結びつける』

『バーベキュー型』

『ジャズ型』

『レゴブロック型』

 

何となく、これからの仕事に

”一筋の光” というか、

”進むべき道筋” が見えた気がします。

 

いろいろと問題を抱えながら、

東京五輪が始まりましたね。

 

私は、五輪開催は反対の立場でした。

その思いが強まる(正しいと思える)

TV番組も結構有りました。

 

ただ、ある程度予想はしていましたが、

始まってしまうと、まるで

手のひら返しのように、

試合の様子(特に日本人選手の活躍)を

大々的に伝えることに、

結構違和感を禁じ得ません。

 

五輪の試合は、

ほとんど生では観ませんが、

ステイホームでTVの情報番組を

つけっ放しでパソコン仕事を

していると、いやでも試合結果の

ダイジェスト版が目と耳に入ります。

 

そんな中、一般人(凡人?)の

私でも、心打たれるシーンが

「2つ」も有りました。

どちらも男子柔道の優勝が決まった

後の2人の選手の態度でした。

 

一人は、「阿部一二三」選手。

 

 

そして、

もう一人は、「大野将平」選手です。

 

 

一般的には、スゴイ選手であっても、

優勝が決まった瞬間には

喜びの感情を爆発させるもの

ではないでしょうか?

 

大声で叫んだり、

ガッツポーズをしたり、

はたまた、歓喜の涙を流したり・・・。

それを非難する観客やメディアは

まず、いないでしょう。

 

増して今回は、1年延期になったり、

普通には練習ができなかったり

の苦難を乗り越えた結果ですから。

 

 

でも、この2人は違っていましたね。

勝った(優勝が決まった)瞬間でも、

笑顔さえ見せない。

 

 

 

柔道という “道” を極めることを

目標にしているので、

今回の優勝もその途中の

通過点に過ぎないのでしょう。

 

あるいは、「礼に始まり、礼に終わる」

という柔道の精神に準じるものかも?

 

 

 

さらには、敗者(負けた対戦相手)への

配慮・・・というか、

リスペクトや感謝の気持ちの表れ??

 

このコロナ禍という困難の中、

五輪を開催してくれた関係者や、

ずっと応援してくれた人たちへの

感謝の気持ちが、自然と

そうさせたのかも???

 

彼ら2人は、我々一般人よりも

(ある分野では)相当な高みにいる

五輪アスリートの、

さらに1ランク上のステージに

到達しているのではないでしょうか?

しかも、そこが決してゴールでもない。

 

確か、大野選手があるインタビューで

こんなことを言っていた記憶があります。

 

「私は、アスリートではない。

柔道家だ!」と。

 

なるほど!!

 

この言葉を参考に私は、

このお2人を、こう呼びたい。

 

『求道者』

 

 

翻って、自分のことを考えると、

お2人には遠く及ばないが、

私は私の取り組む分野で

ある意味、“道” を極める

ことを目指したい・・・

 

と思う、今日この頃です。