港湾工学の父 | cynthia-dr-murazumiのブログ

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連続テレビ小説「らんまん」に主人公・槙野万太郎の同郷の友人として、広瀬佑一郎が登場していました。

このドラマの主人公は植物学者・牧野富太郎をモデルにしていますが、この友人も実在の人物をモデルにしています。

それは廣井勇(ひろいいさみ)であり、牧野と同郷の現在の高知県高岡郡佐川町の士族の家に生まれています。同世代の牧野と同じ郷校で学んでいます。

9歳のときに父と死別し、11歳で上京して叔父の世話になりますが、16歳のときに札幌農学校(現在の北海道大学)に進みました。同期には内村鑑三新渡戸稲造らがいました。

土木工学などを学んで卒業後は道内や関東で鉄道橋梁建設に携わりました。

その後は米国で働いたり、ドイツに留学し、帰国後は札幌農学校工学科教授になって、秋田港の築港や函館港の築堤に携わりました。

1893年(明治26年)、札幌農学校の文部省移管・工学科廃止に伴い技師専任となって、小樽築港事務所長に就任して、小樽港開港のために働きました。冬の激しい波浪に見舞われる岸壁に対して、火山灰を混入して強度を増したコンクリートを開発、さらにそのコンクリートブロックを傾斜させ並置する「斜塊ブロック」という独特な工法を採用し、1908年(明治41年)、1300mに及ぶ日本初のコンクリート製長大防波堤を完成させたのです。

このときに採用したコンクリートブロックは、100年後まで強度試験を行えるように多数の供試体が作られていました。

この防波堤(小樽北防波堤)は現在でも機能していますが、さすがに老朽化があり、2005年に大改修が行われています。

 

小樽港

 

小樽北防波堤:海面から上に斜塊ブロックが並んでいるのが見えます

冬の荒波を受けて波しぶきが上がる北防波堤

 

小樽出身なので、廣井勇の名と小樽港北防波堤建設による小樽港発展の功労者であることは、少なくとも40年以上前から知っていましたが、牧野富太郎と同郷同世代とは、今回のドラマを見るまでは知りませんでした。なお、牧野富太郎の名は小学生のときに学研の学習雑誌で紹介されていて知っていました。

牧野が「日本の植物学の父」、廣井は「港湾工学の父」と呼ばれています。 

 

小樽運河公園には廣井勇の銅像(胸像)が建てられています。

                                                       (敬称略)