魂はあるのか | 神奈川県パワースポット神社

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基本幽霊などは信じませんから

でも変な能力

信じるかはあなた次第です

あの世さんのブログから

http://ameblo.jp/anoyodesu/entry-11573327907.html

霊(霊魂)のあるなしというのは、日本仏教の中でも意見が割れていまして、なかなか面白い。

普通、白木位牌などには、「○○○○(之)霊位」などと書かれますし、仏壇の位牌には、「○○○○位」と書かれたりします。
(普通の位牌について「位」を書かない場合もある。)

簡単に言いますと、「霊」というものが存在していることを前提とする宗派が多いです。日本の仏教は。

いや。

宗派というよりお寺と言うべきかもしれません。

ちなみに、浄土真宗に関しては、霊は存在しないとするのが教義のようです。
したがって、幽霊もいないとするようです。教義的には。

対して真言や天台、浄土宗などのお寺でも、通常は霊魂はあると考えていると思います。

ただし、お坊さんによっては霊という言葉は使用せずに、「識」を使う人もいます。

霊=識

と、簡単に言い切れるか、実は微妙でしょうが、この霊が存在するかしないかという問いに対しては、宗派のみならず、お寺やお坊さん個々人の解釈で答はかなり異なるでしょう。

面白いのは、現代では霊魂が「無い」と言った方が、科学的・理性的であると見られやすいということです。
頭がマトモだとされやすい。

霊魂の存在なんて、西洋科学的には発見も証明もできないので、霊魂は無いという考え方の方がすんなり行くということなのでしょう。


不確定なものは、切り捨てるとスッキリする。




断捨離みたいなので、禅宗ではこの意見の人が多めに見えます。




ただ、どうなのでしょう。


霊魂が存在しない場合、お墓参りは完全に生きている人側の自己満足であるということなのでしょうか。

霊魂が存在しないなら、墓参りに限らずお葬式や法要も施餓鬼も意味が無い、ただの伝統儀式になってしまいます。


ちなみに、実際にこの考え方の人は最近多くなって来ましたので、家族が死んでも通夜葬式なしでいきなり遺体を焼いてしまうご家庭も増えているように見えます。




お坊さんに読経してもらわないのみならず、自分達も基本的に何もしない。ただ焼き場に来て、焼いた後の骨を引き取るだけ。




そして、焼いた骨も海とか山への散骨を希望する。




科学的に考えるならば、葬式も読経も意味が無く、墓も要らないじゃないかということでしょう。墓なんて遺族への負担になる。




ただ、坊さんのはしくれなのに言いますが、この考え方は正直分かります。霊魂が無いならこれらは確かに不要とされて仕方ないのではないでしょうか。




我が伯母も最終的には墓に入りましたが、この考えに近かったです。




己は理性的・科学的であると思い、そして仏教徒ゆえに霊魂を否定する、否定したい人がいます。




有名な「唯識論」というものは、量子論や西洋心理学に非常に近いので、一部の仏教徒は唯識論ゆえに霊魂を否定し、心理学者や精神科医や哲学者に近い意見になります。




難しい「識」について今回書かないことにして、大雑把に言えば、唯識論はカッコ良いけど、しかし霊魂を存在しないとすると、葬式など実際上の仏教の諸宗派の取り組みと教義が乖離を起こしますよ、とは言いたいです。




センシティブな問題です。

考え深いです

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