西宮巡拝記① ~序~ はこちら
西宮巡拝記② ~西宮神社~ はこちら
【廣田神社】
兵庫県西宮市に鎮座
阪急電車
西宮北口駅南口より阪急バス甲東園行き乗車、広田神社前停
阪神電車
西宮駅北口より阪神バス山手東廻り乗車、広田神社前停
J R
西ノ宮駅北西より阪急バス乗車、広田神社前停
御祭神
御本殿
天照坐皇大御神の荒魂
御脇殿
住吉三前大神、八幡三所大神、
諏訪建御名方大神、高皇産霊大神
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西宮神社からいったん阪神西宮駅に引き返し、
駅前からバスに乗って廣田神社へ!
「平日の昼間だしね」と、
バスから降りた時に時刻表をチェックしたら、
バスの本数は1時間に1本!
チェックしておいてよかった…💦
一の鳥居でお目通りを願い、
注連柱をくぐると…。
年長さんかな?
ちょうど地元の幼稚園児たちがお散歩に来ていました♪
「神さまにごあいさつしましょうね~」と、
先生にうながされ、
一生懸命手を合わせて「ありがと!」って。
そんなの見たら、
誰だって思わずニッコリしちゃいますよね~
御由緒書を読むと、
この社が国家の中枢からいかに大切にされてきたか、
重要視されていたかがわかります。
そもそも「西宮」という地名は、廣田神社の別称なんですよね。
京の公家たちが、都の西方に鎮座まします特別な神社である
廣田神社を、「西の宮」と称して
厚く崇敬したことからきています。
境内はとにかくシンプルです。
小さな摂社・末社すら見当たりません。
‥と、いいますか、
現在この社の境内だと認識できる範囲の外に、
摂社・末社が存在してるんですよね。
現に今でも、西宮神社の境内に廣田神社の摂社があります。
廣田神社の権勢がいかに広大であったことか…❗️
そもそも西宮神社自体が、廣田神社の摂社でした
こちらでは、他の参拝客のおじゃまにならぬよう、
拝殿の端っこのほうで、大祓祝詞を奏上
させていただきました。
そのあと気が向いたので、
お御籤もひいてみました。
第九番
行くすゑを おもへば遠し かぎりなき
御代のさかえを まつぞうれしき
何でこれが末吉!?
めっちゃ嬉しい、めでたい内容だと思うんですけどーーー。
しかも、九番。
大成の数、そして、終結の数。
二千年近く国家鎮護の要を担い続けてきたこの大社で、
この句をいただいたのですから、
遠い道のりの先を信じて、諦めずに進むしかありません…❗️
ひと通り参拝を終えて、参道を引き返して来たら、
ご神水が湧いていたことに気付きました。
先客のおじさんが気さくに話しかけてくださって、
いろいろとお話をお聞きしました。
そのおじさんは、廣田神社の氏子さんで、
この社の氏子であることを大変光栄に、
誇りに思っていらっしゃることが
ものすごく伝わってきました。
こういう方と出会うと、とても嬉しくなります。
ただ、このおじさん、
「最近、若い女性がよく参拝しに来るようになったけど、
別の神様が祀られてるって言うんよな~」と困惑ぎみでした。
はい、瀬織津姫様のことですよね。
ほんとのところどうなのかは、
私には全く分かりません。
ただ、例えば、大阪・本町にある御霊神社の御由緒書きには、
「主祭神 天照大神荒魂(瀬織津姫)」と書かれています。
ですので、御霊神社の関係者の方にも、
そのような意識があることでしょう。
でも廣田神社では、氏子のみなさんのみならず神職の方々も、
本殿、脇殿にお祀りされている神々を総称して
「廣田の大神」とお呼びしているそうです。
今さら瀬織津姫と言われても…となるのも、無理もないよなぁと思います。
実は今回の参拝で、私は拝殿の中央と左右それぞれに、
お祀りされている神様のお名前を上げました。
ですが、参拝がすっかり終わったあとに
氏子さんからこのようなお話しを聞いたことから、
これは「廣田の大神」とお呼びして、やり直せ
ということではないかと思い、改めて参拝しなおしました。
事実、廣田大神とお呼びした方が、
とてもしっくりきました✨
スッと腑に落ちた感じです。
千年以上、数万もの人たちが呼び続けていたであろう
神の名「廣田の大神」
私はこのお名前を、これからも大切にしていきたいと思っています。
~入り口近くの御由緒書から~
氏子のおじさんとお話ししている間に、
いつの間にかかなり時間が経っていました。
さすがにお腹が減ってきたぞ。
このま甲山の方へ移動して、
果たして食事にありつけるのか…。
一抹の不安を抱えつつ、再びバスに乗って
甲山中腹の神呪寺を目ざします。
~つづく~