生きていくために必要なことというと、いろいろあるだろうけれど、お金もまあ、そのひとつではあるのかなと思う。

もしかしたら広いこの世界には、お金を使わずに暮らしている人もいるかもしれないし、あえてお金を使わない生き方を選択して暮らしている人、もいるかもしれない。

僕はといえば、おそらく大多数の人がそうであるように、生活にある程度のお金を必要とする暮らしをしてきている。

そして、「暮らしていく、生きていくためにはお金が必要である」という概念というか考えというのは、誰に教えられたというわけでもなく、親とかまわりを見ているうちに「そういうものなんだ」となんとなくいつの間にか覚えたものなんだと思う。

とはいえ、どこかで「お金=生きるのにある程度は必要なもの」から「お金=自分を楽しく幸せにしてくれるもの」みたいに変わってしまっていったようにも感じる。

それは多分、自分で働くようになって、自分で使えるお金というものができてからだと思うのだけれど、お金を使って何かを手に入れることで、もしくはお金を使うことそのものに、楽しさとか幸せを求めるようになってしまっていたような気がするのである。

それは、仕事でのストレスも大きかったのもあるけれど、学生の頃なんかは自由に使えるお金がなくても、お金がないなりに楽しく過ごせていたはずなのに、なんというか自分で自由に使えるお金というのが増えてしまったことで、自分の幸せのハードルを自分で上げてしまったのだろう。

だからいつの間にか「お金を使わないと楽しくない、幸せじゃない」と感じるようになってしまっていたし、お金を使うことや何かモノを買うことに楽しさとか幸せを求めるようになっていた。

とはいえ、お金そのものが問題だったというよりも、お金に対する自分の向き合い方が問題だったのだなあと、今になってようやく思えるようになった。

今は自分のためにお金を使う、この場合は何か楽しみとか幸せのためにお金を使う、ということがほとんどなくなった。

あるとすれば、毎日飲むコーヒーと、たまに読みたい本を月に1、2冊買うくらいである。

これまで、いろんなことにお金をたくさん使ってきたし、それこそ高額なモノをいくつか分割払いで買うみたいな、とほほなこともやってきたけれど、「わあ、楽しいなあ、幸せだなあ」と心から感じたことは一回もなかった。

今はというと、朝になると気持ちよく自然と目が覚めること、ぐっすりと寝れたこと、心や体が軽いこと、天気がいいこと、ラジオ体操や掃除で体を動かすこと、朝一番のコーヒーがおいしいこと、こうやって文章を書いたり好きなことができること、そういうことに楽しさや喜びを感じている。

まあ、お金を全く使わずに暮らしているわけではないけれど、自分の楽しくて幸せな暮らしにおける、お金の割合というのはだいぶ少なくなった。

家にいるのが好きだから、たまに日光浴に庭に出るくらいで、1日ずっと家で過ごすことも楽しめるし、そもそもそんなに出かけたいとも思わない。

家にいても、こうして文章を書いたりコーヒーを飲んだり、洗濯したり軽く掃除したり、本を読んだり映画を観たり、昼寝したりぼんやりしたり、といった感じである。

正直、人によっては「ずいぶん退屈だなあ」と思われるかもしれない生活を毎日のように続けているわけだけれど、お金をたくさん使っていた時に比べても、今の方が何十倍も楽しさや幸せを感じている。

もちろん、全ての人にあてはまるとは言わないけれど、僕の場合はお金をそんなに使わなくても、楽しくて幸せな暮らしはできるということがわかったし、そのことに気づけたことが、そもそも幸せなことかもなあと思う。

だからお金を使わなくても楽しくて幸せ、モノをたくさん持っていなくても楽しくて幸せ、そんなにたくさん食べなくても楽しくて幸せといった感じで、世間の楽しいや幸せとは、程遠いところまで僕は来たような気もするけれど、とても楽しくて幸せである。

そして、楽しいとか幸せは人それぞれであっていいだろうし、自分にとっての楽しいや幸せを見つけることが1番なのだと思うし、そこにどうしてもお金がないといけないというわけではない、という喜びを感じながら、日々楽しく幸せに暮らしている今日この頃である。

 

AD