琉球列島における儀礼的喫煙に関する文化史的研究 助成研究者 吉成直樹(法政大学沖縄文化研究所、地理学・民族学) 1 目的 琉球列島(奄美群島~八重山群島)では、煙草が琉球国の国家祭祀から民間祭祀に いたるまで使用され、重要な役割を果たしていた(吉成・石井、2010)。 しかし、煙草が 16 世紀末頃に琉球列島に導入されてから、またたく間に国家祭祀や 民間祭祀に受容されたのはなぜか、比較的新しい時期に導入された作物であるにもか かわらず、起源神話が伴っているのはなぜか、などいくつかの未解決の問題も存在す る。 本研究では、なぜ琉球列島に煙草が導入されてからまたたく間に煙草の儀礼的使用が広 がったのか、煙草は神にかかわる神聖なものであるとする観念や起源神話が、どのような 過程を経て伴うようになったかについて明らかにすることを目的とする。 2 方法 上記の目的を解決するために、ここでは以下の手順で検討した。 ① 琉球列島における煙草の儀礼的使用の特徴や、その意味について改めて検討した。お もに奄美群島の喜界島、奄美大島で野外調査を行った。奄美群島を中心に置いたのは、 琉球列島における煙草の儀礼的使用がみられる地域のひとつであることによる。 ② 韓国・ソウルのムダンの儀礼である「クッ」について、2011 年 12 月 24 日に調査を行 った。ソウルでムダンの調査を行ったのは、おおよそ朝鮮半島の漢江を境に、それ 以南では世襲巫、以北では降神巫の地域であり、事前の文調査では煙草の使用がほ ぼ降神巫地域に限られ、しかも神がかりが伴うのも同地域であることによる。 ③ 日本列島の北に位置するアイヌでもクマ送りや、アイヌと和人の交易の挨拶儀礼で あるオムシャなど、多くの場面で煙草の儀礼的使用が認められる。そこで儀礼で使 用された煙管などの伝世品資料や「アイヌ絵」を利用して検討した。 最後に、上記①~③の結果を比較した。 3 結果と考察 議論を要約すると以下の通りになる。 ① 煙草に起源神話が伴っているのは、煙草がノロ祭祀の中で重要な位置を占めるこ とになったために、ノロ祭祀には欠かせない聖地に生える聖樹であるクバの木の発 生を語る神話と同じ話型で語られるようになったとことによる考えられる。したが 2 禁 無断転載 って、煙草の導入後に、他の起源神話の話型を利用して新たに形成された神話と考 えられる。 ② 宮古諸島の「池間民族」の儀礼的喫煙に関して再検討すると、神がかりに向かう 精神状態をつくっているとは言えても、トランス状態に入る直接的な契機になって いるとは言えない。単調なリズムの歌の繰り返しなどと複合してトランス状態に入 るとみなすべきである。 ③ 「池間民族」では儀礼的に神に祈願する前に喫煙するが、それは煙が神と人間が コンタクトするためのチャンネルをつくると考えられていたためである。それはア イヌにおいて、煙草の煙が神と人間をつなぐ役割を果たしていたこととも符合する。 ④ ③の視点に立って儀礼の中での「煙」に注目すると、「池間民族」では豚を犠牲に した場所と隣接した場所で大量の御香を焚くが、これは神に降臨する場所を知らせ るためである。 ⑤ インドネシアやミャンマーのシャーマンは、大量の香(椰子の殻を乾燥させたも の)や大量の煙草による、朦朦たる煙の中で神がかりになる。こうした事例を考慮 すると、「池間民族」の大量の香もまた神がかりの状態にするためのものと考えられ る。 ⑥ 琉球列島においてまたたく間に煙草が儀礼の中に組み込まれたのは、その前提に、 香などの煙を使う文化があったためと考えられる。 ⑦ 韓国のシャーマン(ムダン)と琉球列島のユタ(あるいはノロ)の儀礼では一頭 の豚を犠牲にする、刀を使用するなど類似している点も見出すことができる。しか し、煙草の儀礼的使用においては顕著な類似があるとは言えない。 ⑧ ただし、ソウルのムダンが山神と交渉する時に大量の煙草を吸い、神がかりの状 態になったとする一例は琉球列島の儀礼的喫煙の効果によく似ている。 ⑨ 韓国で煙草を儀礼的に使用するのが降神巫の地域であること、太鼓やシンバルな どの楽器を鳴らす者が喫煙することを考慮すれば、⑧に類似した事例は降神巫地域 を中心にほかにも存在している可能性がある。 煙草そのものの導入期が琉球、朝鮮半島では 17 世紀前後のことと考えれば、その頃 は両地域の直接的な交渉が希薄であった時期であり、類似した煙草の使用例が出てこ なくとも当然と言える。しかし、⑧のような儀礼的喫煙がより広く見出されるならば、 朝鮮半島に煙草が導入されて以降、独自に喫煙がシャーマンの巫祭に取り込まれたと 考えざるをえない。そして、喫煙の意味が琉球列島の事例と似ているとしても、一方 の地域から他方の地域に伝播したと考えるより、両地域において煙草を受容するシャ ーマニズムの土壌が似ていたことによると考えられる。