タバコ大好き琉球人

 

最近の禁煙志向の広まりで、タバコをたしなむ喫煙者の方はずいぶん肩身のせまい思いをしているのではないでしょうか。タバコといえば、沖縄では「ハイトーン」や「ウルマ」などの県産タバコが有名ですが、沖縄とタバコの関わりは、実は長くて深いものです。その歴史を見てみましょう。

タバコはもともと南米アンデス山脈の原産で、先住民(インディオ)が神々と交信する儀式に幻覚剤とともに使ったり、医療や社交の際に用いられたりしていました。その使用はインカ帝国をさかのぼると言われています。そして、このタバコを全世界に広めたのは新大陸を征服したヨーロッパ人たちでした。ヨーロッパでは主に万能薬として使われましたが、その高い依存性から世界各国でたびたび禁止令が出されていました。イスラム世界では喫煙者が処刑されたほどです。しかし人々を完全に“禁煙”させることは難しかったようです。

アジアへは大航海時代の16世紀にスペイン人がルソン(フィリピン)へタバコをもたらし、琉球へは東南アジアや中国経由で伝わったとみられます。タバコはまたたく間に琉球にも普及しました。浦添グスクからは様々なキセルが出土しています。古琉球時代にタバコが伝わって、すぐさまグスクの住人たちがニコチンのとりこになっていたことがわかります。当時のグスクの主は浦添尚家の尚寧王です。もしかしたら彼もヘビースモーカーだったかもしれません。

しかしタバコは火の不始末から火災の原因となったり、タバコを生産することで米の収穫が減ったりするというマイナスの面もあり、王府は「ただタバコのみ益なく害多きこと、これに過ぎたるものなし」と述べています。首里城では禁煙令も出されました。正殿の「御座内」は禁煙になり、国王への謁見や儀式のときにも喫煙が禁止されました。今風にいえば全面禁煙でなくて分煙ですね。禁煙令が出されたということは、それ以前は首里城内でタバコを吸うことが可能であったということでしょうか。もしかしたら正殿内はタバコのけむりでモウモウとしていたかもしれませんね。

喫煙は琉球の庶民にも広まり、那覇ではタバコ作りで生計を立てる者もでてきました。キセルとタバコ入れは役人から庶民にいたるまで必需品となり、現代の我々が携帯電話を持つように、皆がキセルとタバコ入れを持っていました。後にペリーが琉球へ来航した際、人々の姿をスケッチしていますが、多くの人々の腰にはキセルが差され、タバコ入れがぶらさがっているのを確認できます。

そのほかタバコは薩摩からも輸入していました。薩摩産は高級品で、日本全国に流通する有名ブランドの国分タバコが琉球へ出荷されました。このタバコは国王から中国皇帝への献上品にもなったといいます。タバコの需要が高まるにつれ、王府はタバコの自給化路線をすすめました。庶民は税として納めるべき米を移入タバコの購入代にあててしまい、年貢が払えなくなる場合があったからです。タバコの魅力(魔力?)というのはオソロシイですね。

※【画像】はタバコを吸う琉球の庶民。『バジル・ホール航海記』挿画をとらひこが筆写

参考文献:和田光弘『タバコが語る世界史』、真栄平房昭「煙草をめぐる琉球社会史」(『新しい琉球史像』)、ラヴ・オーシェリ・上原正稔編『青い目が見た大琉球』