新里 裕之(しんざと ひろゆき、1980年8月29日 - )は、沖縄県島尻郡南風原町出身の元サッカー選手、サッカー指導者。
来歴[編集]
沖縄県立宜野湾高校出身。元日本代表の我那覇和樹とは同級生で、全国高校サッカー選手権に2度、FWでコンビを組んで出場した。
高校卒業後、九州共立大学を経て群馬FCホリコシに入団。その後、地元クラブである沖縄かりゆしFCに移籍した。
2003年には方針の違いからラモス瑠偉らとともにクラブを集団退団し、沖縄県社会人3部リーグの新規チームとしてFC琉球を発足。初代監督(選手兼任)に就任した。2005年にはヘッドコーチに就任。琉球はJFLまでカテゴリーを上げた。2009年より監督に復帰し、フィリップ・トルシエ総監督とともにチームを指導した。2011年限りで監督を退任。
2012年、ブラウブリッツ秋田のヘッドコーチに就任。2013年から2014年まではゼネラルマネージャーを務めた[1]。
2015年に栃木SCの強化担当に就任。2016年からは強化部長を務めた。2016年4月にはトップチームのコーチも兼任する事が発表された[2]。栃木は2017年のJ3リーグで2位に入り、J2復帰を達成した。2019年7月で強化部長を辞任した[3]。
栃木の強化部長を辞任後、2019年にサガン鳥栖の強化部スタッフに就任。2021年にはゼネラルマネージャーに就任[4]。同年6月には株式会社サガン・ドリームスの取締役にも就任した[5]。同年9月に取締役を辞任し、10月にはゼネラルマネージャーも退任[6]。
2022年、SKNザンクト・ペルテン(オーストリア・2.ブンデスリーガ)のジャパンスポーツマネージャーに就任する事が発表された。[7][8]