地域の自然や伝統文化を大切にしながら、人は交流によって理解を深め平和な世界を築いていく|沖縄ツーリスト株式会社 代表取締役会長 東 良和

「沖縄ツーリストは、私の父が創業した会社です。しかし、会社を継ぐことはあまり考えず、大学卒業後は日本航空に入社しました。ちょうどテレビドラマ『スチュワーデス物語』の時代にパーサーをやっていたので、注目を浴びましたね。それからアメリカのコーネル大学でホスピタリティ経営学修士を取り、帰国後、沖縄ツーリストに入りました。沖縄にリゾートホテルが立ちはじめた頃ですね。サービス業に関するMBAを取って、世界に通用する理論や戦略をマスターしたつもりで、帰ってきたわけです。父の背中を見て育ったので、経営者になりたいという気持ちはやはりどこかにありました」

東氏がホスピタリティマネジメントのMBAを引っ提げて沖縄に戻り、一番苦労したのは経営戦略やミッションではなく、コーポレートカルチャーの革新だったという。

「企業にとって一番重要なのは、社風です。つまりコーポレートカルチャーをどうしていくかですね。戦略的なことはもちろん大事ですが、大前提である社内文化を前向きにすること。新しいものに挑戦していける風土づくり、お客様や社員にやさしい企業にしていくことが最も大切です。ガバナンスやコンプライアンスに加えて、やりがいや頼りがいのある会社に、組織を変えていけるかというところが重要なんです。90年から社風の変革にチャレンジしてきましたが、10年でやっと変化が現れるかどうか、というところです。沖縄に戻ってきて20年。今ようやく良くなってきたばかりです。人材も10年20年かけて育てていくというか、一緒に成長していくものですから、一朝一夕のことではありません。すべてが準備と努力の積み重ねですね。仮に今のシステムでうまくいっていても、それはたまたまかもしれない。組織というのは、常に変化していくことによって活性化していくのでは、と私は思うんです。成功体験に埋もれるのは良くないなと思うので」

成功体験に埋もれないこと、常に組織を変えて行く、サラッと言ってのけるのだが、これを行うことがなかなか難しい。もちろん東会長は百も承知だ。だからこそ、サラッと言うことで自戒を込めているように思えた。

「なにせ私は飽きっぽいから(笑)。だけど変えちゃいけないことはある。沖縄ツーリストがやっているビジネスの根幹は、今も昔も変わりません。50年前に東京支店を作り、人の流れを変えました。それまでは主に沖縄のお客様を本土にお連れしていました。それが東京で集客できるようになり、関東圏のお客様を沖縄へお連れするようになりました。そのビジネスモデルを進化させ、それを世界にも拡大させながら、社内の変革にまい進しているんです」

東氏の言葉を借りるなら、それはピボット戦略と言うべきものである。軸足は絶対に動かさずに、それ以外の部分はいつでも変革できるように準備を欠かさないのだという。

「50年前に東京で始めたことを、2006年から海外でやっているだけなんです。ピボット戦略の主軸にしているのは地域主導型観光。地域主導型観光というのは、それまでの着地型観光と異なり、地域が主導権を握るので、発地も着地も強くなる観光のあり方です。意思決定権が地元にあるので、優位性が必然的に高くなります」

地域が主体となって、「来てもらいたい人」にアプローチして誘客する、発地だけで行程を組んだマスツーリズムとは対極的な観光のあり方である。

「発地でも着地でも、オペレーションの力をつけていくことが肝心です。大抵の観光地が、着地だけで競争していますが、実際は送り込む側の力が必要です。送り出す力さえあれば、行き先は沖縄だけにこだわる必要はなく、世界中のどこでもいいんです。私は“蛇口の元栓をコントロールする力”って説明しているのですが、これが観光においては大事です。空港からどんどん入ってくる人たちを、受け皿として応対するだけでは成長がありません。当然入ってくる人の数にも波がありますし、その人たちの嗜好や流行だって変わります。うちは東京、大阪、福岡など大都市のお客様を北海道にもお連れしています。そのために北海道ツアーズという100%子会社も運営しています。そのほかにも新幹線旅行や空港のハンドリング業務、保険部門、レンタカー部門やバス部門など多岐にわたってビジネス展開を行っています」

軸足とは別のもう片方の足を伸ばしているのが、第三国観光と言われる海外の人を日本以外の国に送客する事業である。

「今、ちょうどニュージーランドに新しい拠点を築いているところです。台湾や香港、韓国など東アジアの人たちを英語圏に送ることから始めたいなと思っています。世界のお客様を日本に呼ぶのも大事なことだけど、私は世界中で旅行している11億人を市場だと捉えています。これに日本企業がどれくらい関与できるかが、観光産業が日本を支えていける産業になるかの勝負所ですよ。自動車産業でも、日本から直接の輸出は少ないですよね。基本は現地生産・現地販売で、その利益を日本に持ち帰っているわけです。その観光版が第三国観光です。地の利を生かして、沖縄という地方都市からそれを全国そして世界に発信していきたいんです。よく沖縄を訪れる旅行者数の増加が取り沙汰されますが、誤解しちゃいけないのは、沖縄にだけ観光客が来ているのではないということです。日本はまだインバウンドと国内合わせてもアジアの平均にも満たない状態。そもそも観光後進国というか、観光鎖国だったのがようやく人並み程度になったところです。本当の勝負はこれからですよ」

最もアジアに近い沖縄だからこそ実現可能かもしれない。第三国観光に期待は高まるが、なぜニュージーランドなのだろうか。

「治安が良くて自然が美しいですよね。何より、運転しやすいのがいいですね。立地的にもオーストラリアとニュージーランドはアジアから近くて人気です。あとは人材の部分でもメリットがあります。英語が話せる中国人スタッフがいれば、ビジネスとして成り立つので。お客様も従業員も日本人である必要はないんです。人材育成の場としても最適ですね。ニュージーランドの観光ビジネスを学びながら英語も習得できます。日本や韓国、台湾の社員が一緒に住み込んで研修できる施設も準備しています」

ニュージーランド拠点は、2017年9月にオープン予定。日本型観光の輸出版が海外の人にどう受け止められるのか、今後に期待だ。ここで少し軸足のほうに話を戻そう。地域主導型観光の一環として、沖縄ツーリストが心を配っているもののひとつに〝ニーズの細分化〟と〝コミュニケーションの充実〟が挙げられる。

 

「団体旅行から個人旅行にシフトした時点で、ニーズの細分化というのはどうしても避けられないですよね。レンタカーを使う人もいれば、モノレールだけ使う人もいる。より細かいニーズに対応した、ホテルやオプショナルツアーの手配もできるように準備しています。特にオプショナルツアーに関しては、沖縄中文音楽バスという企画が人気です。中国語で音楽を聞いていただきながら、ガイドするのですが、中国出身の社員が三線を練習して、同じ中華圏の人たちに披露して見せるという試みを行っています。まだ素人の域を出ませんが、これによって車内の雰囲気が柔らかくなるんです。お客様というのは、別に歴史とかうんちくを聞きに来ているのではなく、沖縄の人がどういう生活をしているのか、自分の国とどう違うのか、逆に似ているのはどこなのかとか、そういう身近に感じられる情報やお客さん同士のコミュニケーションを望んでいます」

沖縄ツーリストのこだわりは、徹底したお客様目線にあるのだと思う。特に感心したのは、旅行者に何かあったときに、お客様の母国語で相談できる窓口があることである。

「OTS独自のホテルサイトからの予約であれば、多言語での相談が可能です。ホテル予約サイトなんて山ほどあるのに、なぜわざわざ新しく自社サイトなんて作るのかと聞かれることもありますが、私は“勝機がある”と思っています。ホテル予約サイトというのは、同じクラスのホテルならば、どこも同じような価格帯ですよね。我々の差別化のポイントは、お客様が沖縄に来てどれだけ充実した情報をもらえるか、何かあったときや病気になったときに対応する窓口があるか。これはOTSレンタカーの成功モデルから学んだことです。OTSレンタカーを利用する外国人の7割は、ポータルサイト経由ではなく、自社サイトに直接予約をしてくれているんです。お客様から選ばれているという証ですね」

お客様目線という意味で、もうひとつ沖縄ツーリストが目指しているのが、食物アレルギー対策だ。

「観光は、経済だけなく文化交流という面でも重要な産業です。それに貢献できるようなことをやっていきたいと思って、『一般社団法人アレルギー対応沖縄サポートデスク』というのを立ち上げました。昨年、ジーマーミー豆腐でアレルギーを起こしてしまったケースがあったのがきっかけですね。2020年には、沖縄をアジアで最もすすんだアレルギー対応地域にしたいんです」

これぞユニバーサルツーリズム=誰もが安心して楽しめる旅行である。しかしそこまで広い視野を持ってしまうと、人材の確保や育成も急務に違いないが、そこのところはどうなのだろう。

「うちに限らず、沖縄の労働力の不足は深刻になってきています。沖縄ツーリストでは、まずは打開策の一つとして企業内保育施設を2011年に作りました。これに関してはまだ那覇南部エリアの社員にしか恩恵がないので、在宅勤務のシステムなども考えていかねばならないと思っています。あとは、予約センターなど必ずしも沖縄になくてもよいものは台湾や韓国・シンガポールに設置して、現地採用することでカバーしてきました。何事も先を見据えた準備が大切です。あとは福利厚生にも力を入れています。勤続5年以上の社員には5年に一度、OTSのツアー参加料金を割引く『OTS休暇促進旅行制度』を導入しました。一親等までは半額、それ以外は30%割り引きます。有給休暇の取得も促せますし、社員のQOLの向上も兼ねています。社員は、何より旅行が好きでこの業界に入ってきていますので。お客様の立場で自社の旅行に参加してもらい、その内容を社内の企画部門にフィードバックすることで、よりよい商品づくりに役立てたいと思っています」

ここまで東氏の話を聞いていて、先見の明というか、先を見据える力のようなものを感じ、その原点なるものはどうやって備わったのかどうしても聞かずにいられなかった。

「いや、先見の明とかそんな大げさなものではないですよ。ただ準備しているだけ。私は、準備というのは、世の中がどう変わるか想像すること、もしくは妄想することだと思います。変化していく世の中に対応できるような準備が常に必要。準備は裏切らないですから。パスツールの言葉に〝準備なき者にはチャンスは決して訪れない〟というのがあります。これは、成功するためにはいい大学に入ってとか、いい会社に入ってとか、そういうことではないんです。こう変わるだろうな、だからこうしておかねばならないだろうな、というように世の中を見ること。世の中で動いていることを、すべて自分に直接関係のあることとして捉えることが重要です」

今回のインタビューで最も印象的だったエピソードがあるのだが、実はそれもパスツールの言葉に集約される話だ。学生時代、一世を風靡した人気プロレスラーであるスタン・ハンセンの大ファンだったという東氏は、泊まっているホテルを調べて訪ね、「スタン・ハンセンさんの部屋につなげてください」とフロントに掛け合った。個人情報保護などという概念のない時代、スタン・ハンセン本人が電話に出た瞬間に、英語でこう言ったという。「私は全日本スタン・ハンセン学生ファンクラブの会長の東です」。そうして見事、意中のスタン・ハンセンに会えたというのだから驚きと言うほかない。東氏曰く、「スタン・ハンセンに会うのに、学力も財力もいらない。どこに泊まっているかという下調べ=準備と行動あるのみなんですよ!(笑)」とのこと。さすがに今の時代では通用しないだろうが、面白く、かつ教訓めいたエピソードである。

最後に求める人材について尋ねたところ、「沖縄ツーリストの強みは、いろんな新しいことに挑戦できる会社の規模だという点と、どこの系列でもなく独立しているということ。このため自由に意思決定ができます。独立している企業だからこそのフットワークの軽さですね。そういうワクワクドキドキ感を共有できる人を求めています。コミュニケーション能力も重視します。体調の悪いときや厳しい環境に置かれたときに笑顔になれるかどうか。あとは、やる気のあるフリができる、これも大事ですよ。やる気を出しなさいって言われても、なかなかやる気なんて出ないものです。でもやる気のあるフリだけでもしていれば、人から頼られますし、頼られたら本当にやる気を出さざるを得ないじゃないですか」

やる気のあるフリをしていれば、自分もその気になる、というのは心理学的にも理にかなっている。やる気が出ないなぁと悩んだら、一度フリだけでもしてみたらどうだろう。周りに与える影響だけではなく自分もなんらかな形で変わっていくに違いないから。

 

東 良和(ひがし よしかず)
1960年 那覇市生まれ。1983年、早稲田大学卒業後、日本航空株式会社勤務を経て米国コーネル大学ホテルスクール大学院に留学(ホスピタリティ経営学修士)。1990年に沖縄ツーリスト株式会社入社、2004年に代表取締役に就任。 現在、一般社団法人日本旅行業協会理事、沖縄県ユネスコ協会会長、沖縄県観光教育研究会会長、沖縄経済同友会副代表幹事、一般社団法人ジャパンショッピングツーリズム協会理事兼沖縄支部長、「ビジットジャパン大使」(観光庁)等を務める。