ワイオミング州(ワイオミングしゅう、: State of Wyoming [waɪˈoʊmɪŋ] ( 音声ファイル))は、アメリカ合衆国西部の山岳地域にある

州都シャイアン市である。陸地面積は全米50州の中で第10位であるが、人口は576,851人(2020年国勢調査[1]と全米50州の中で最も少なく(1市のみであるコロンビア特別区よりも少ない)、都市と比較しても、全米31位のウィスコンシン州ミルウォーキー市より少ない。人口密度は2.3人/km2で、全米50州の中ではアラスカ州に次いで2番目に、また本土48州の中では最も低い。ワイオミングとはアルゴンキン語族インディアンの言葉で「大平原」を意味し、州の東側3分の1はハイプレーンズ英語版)と呼ばれ、広大なグレートプレーンズの西部にあたる標高の高い平原地帯が広がっている。西側3分の2はロッキー山脈東部の山岳地帯と丘陵の牧草地帯である。州の愛称は「平等の州 (Equality State)」、「カウボーイ州 (Cowboy State)」である。

歴史[編集]

詳細は「ワイオミング州の歴史」を参照

現在のワイオミング州の地域には昔から幾つかのインディアン部族が住んでいた。白人探検家がこの地域に入って遭遇したのはクロウ族アラパホ族、ラコタ族、ショーショーニー族などだった。現在の州南西部はスペイン帝国の領土となり、後にはメキシコアルタ・カリフォルニアの一部となった。米墨戦争が終結した1848年、アメリカ合衆国がこれらの地域をメキシコから譲り受けた。18世紀後半にはケベックモントリオールからフランス系カナダ人の罠猟師が入りこみ、テトン、ララミーなどフランス語を語源とする地名を残した。19世紀に入ってルイス・クラーク探検隊がこの地域に入ったが、この隊もフランス系カナダ人のトゥーサン・シャルボノーやその若いショーショーニー族の妻サカガウィアがガイドを務めていた。1807年には隊員のジョン・コルターが初の地誌を残した。当時イエローストーン地域の報告は作り話だと思われた。1812年にロバート・スチュアートと5人の隊員がオレゴン州アストリアからの帰途、サウスパスを発見した。後のオレゴン・トレイルがこの峠を通った。1850年、ジム・ブリッジャーが現在ブリッジャー峠と呼ばれる所を見つけ、1868年には最初の大陸横断鉄道であるユニオン・パシフィック鉄道が、さらにその90年後には州間高速道路80号線が通った。ブリッジャーはまたイエローストーン地域も探検して報告書を提出したが、コルターのものと同様、当時は大ボラだと見なされた。

この地域は1865年までに「ワイオミング」と呼ばれるようになった。オハイオ州選出アメリカ合衆国下院議員J・M・アシュレーが「ワイオミング領土の暫定政府」を作る法案を議会に提出した。「ワイオミング」という言葉はマンシー族の言葉で「大きな河床」を意味する xwé:wamənkが語源とされているが、1809年にトマス・キャンベルが著した詩『ワイオミングのガートルード』で有名になっていたペンシルベニア州ワイオミング・バレーに因んで名付けられたともされている[3]

州東部のララミー砦に展示されている12ポンド山岳榴弾砲

1867年にユニオン・パシフィック鉄道がシャイアンの町に到達した後、地域の人口は着実に増加を始め、連邦政府は1868年7月25日にワイオミング準州を設定した。南隣のコロラド州とは異なり、ワイオミングでは金や銀のような貴金属はほとんど発見されず、コロラドのような急速な人口増大も起こらなかった。ただし、1867年にカリッサ鉱山で金の産出を始めた後は、サウスパスシティで一時的なブームが起こった。さらにシエラマドレ山脈とグランドエンキャンプメントに近いスノウイー山脈の間などの地域では銅が産出された[4]

政府が後援したイエローストーン地域への探検が行われ、以前のコルターやブリッジャーの報告が真実であったことを証明した。このことで1872年に世界初の国立公園となるイエローストーン国立公園が創られた。この国立公園のほとんど全ての領域がワイオミング州北西部の中に入っている。

1869年12月10日、準州知事ジョン・アレン・キャンベル普通選挙法に署名して法が成立し、投票権が女性に拡大された。これはアメリカ合衆国の州の中で初のことであった。ワイオミング州の政治の世界では、こののちも女性にとって初のことが続いた。例えば1870年、ララミーでは女性が初めて陪審員を務めた。同年のララミーではメアリー・アトキンソンが女性初の廷吏となり、同年サウスパスシティではエスター・ホバート・モリスが女性初の治安判事になった。初の女性知事選出もワイオミング州であり、1925年就任のネリー・テイロー・ロスである。(ワイオミング州と同年にテキサス州も女性知事を選んだが、ロス知事の方が先に就任した)。これら女性に与えられた権利の故に、ワイオミング州は「平等の州」というニックネームがある[5]

ワイオミング州憲法には女性参政権も含まれ、また水利権に関する条項も新しかった[6]。ワイオミングは1890年7月10日にアメリカ合衆国44番目の州に昇格した[5]

1892年、ジョンソン郡戦争が起こった。これは牛の牧場主集団の間で争われたものだった。この話をもとにして1953年のシェーン、1980年の天国の門などの映画が制作された。連邦政府で成立したホームステッド法によって小さな牧場主が大量に流入した。片方あるいは両方の集団がジョンソン郡の公有地の使用を巡って商売よりも暴力に訴えたときにこの境界紛争が起こった。

地理[編集]

ワイオミング州の郡一覧」も参照

ワイオミング州

ワイオミング州の地形図

ワイオミング州の位置と大きさ[編集]

ワイオミング州は北にモンタナ州、東にサウスダコタ州ネブラスカ州、南にコロラド州、西にユタ州アイダホ州と隣接している。SF映画・未知との遭遇のロケ地として有名になったデビルスタワークルック郡ムーアクロフト近郊に位置している。南州境は北緯41度線、北州境は北緯45度線、東州境は西経104度3分線、西州境は111度3分線であり、ワイオミング州は隣接する州との境が全て直線で引かれる3州の1つである(他にユタ州コロラド州)。19世紀に州境を定めるための測量が不正確だったために、法律上の州境はこれら緯線や経線と最大0.5マイル (800 m) ずれている地点がある。特に北緯45度線の山岳部で著しい[7]。面積97,814 平方マイル (253,348 sq km) を包含する国内で10番目に大きな州であり、23郡で構成されている。州の北端から南端までは280 マイル (444 km) あり[8]、東端から西端までは南州境で360 マイル (587 km)、北州境で342マイル (550 km) ある。

山岳部[編集]

ワイオミング州はグレートプレーンズロッキー山脈が出遭う所である。全体に大きな高原が広がり、多くの山脈によって仕切られている。標高は州内最高峰であるウィンドリバー山脈英語版)のガネット峰(標高13,804フィート (4,207 m))から、州の南東隅、ベルフーシェ川の標高3,125フィート (952 m) まで変化している。山脈の主なものとして、北西部にはアブサロカ、オウルクリーク、グロスヴァント、ウィンドリバー山脈及びティトン山脈、北央部にはビッグホーン、北東部にはブラックヒルズ、さらに南部にはララミー、メディシンボー(スノウイー)及びシエラマドレ山脈がある。また、これら全てがロッキー山脈の一部である。

南中部のスノウイー山脈は地質も外観もコロラド州のロッキー山脈の延長である。西中部のウィンドリバー山脈にはガネット峰以外にも、標高13,000フィート (3,962 m) を超える山が40以上ある。北中部のビッグホーン山脈はロッキー山脈とは幾らか孤立している。

北西部のティトン山脈は50マイル (80 km) の長さがあり、その一部にはグランドティトン国立公園がある。この公園内にはワイオミング州で第2の高峰グランドティトンがある。

州の中央部を大陸分水界が南北に貫いている。分水界より東側の川はミズーリ川水系に流れ、最終的にメキシコ湾に注いでいる。州内にはミズーリ川の支流としてノースプラット、ウィンド、ビッグホーン、イエローストーンの各河川が流れている。スネーク川コロンビア川に合流して太平洋に向かい、グリーン川コロラド川に合流して同様に太平洋に注いでいる。

州南中部で大陸分水界は分岐し、グレートディバイド盆地と呼ばれる地域を作っており、ここの水は地域内に留まってどの大洋にも流れていない。ワイオミング州全体が乾燥しているために、その水は単に土壌に浸み込むか蒸発するだけである。

ワイオミング州に源流があるかまたはを州内通って流れる川としては、イエローストーン川、ビッグホーン川、グリーン川、パウダー川及びスネーク川がある。

ワイオミング州は、通常は年間降水量10インチ以下という乾燥した州と言われている。それゆえ州内の土地は農業にあまり適さず、その代わり放牧が山麓地域などで普及している。

オールド・フェイスフル・ガイザー

公有地[編集]

ワイオミング州の国立公園と国立公園局事務所の位置

ワイオミング州の土地の48%以上がアメリカ合衆国政府に所有されており、その絶対値(30,099,430エーカー (120,000 km2))では国内6番目、比率では同5番目になっている[9]。他に州政府が6%、すなわち3,864,800エーカー (15,000 km2) を所有している[9]

国有地の大半は土地管理局と森林管理局の管理する国有林、国有草原であり、さらにシャイアン市の近くにはF・E・ウォーレン空軍基地がある。

またアメリカ合衆国国立公園局などの機関が管理する土地もある。以下はそのリストである。

(ワイオミングしゅう、: State of Wyoming [waɪˈoʊmɪŋ] ( 音声ファイル))は、アメリカ合衆国西部の山岳地域にある

州都シャイアン市である。陸地面積は全米50州の中で第10位であるが、人口は576,851人(2020年国勢調査[1]と全米50州の中で最も少なく(1市のみであるコロンビア特別区よりも少ない)、都市と比較しても、全米31位のウィスコンシン州ミルウォーキー市より少ない。人口密度は2.3人/km2で、全米50州の中ではアラスカ州に次いで2番目に、また本土48州の中では最も低い。ワイオミングとはアルゴンキン語族インディアンの言葉で「大平原」を意味し、州の東側3分の1はハイプレーンズ英語版)と呼ばれ、広大なグレートプレーンズの西部にあたる標高の高い平原地帯が広がっている。西側3分の2はロッキー山脈東部の山岳地帯と丘陵の牧草地帯である。州の愛称は「平等の州 (Equality State)」、「カウボーイ州 (Cowboy State)」である。

家庭で話される言語(ワイオミング州) 2010[2]
         
英語

  

93.39%
スペイン語

  

4.47%
人種構成(ワイオミング州) 2010
         
白人

  

85.9%
ヒスパニック

  

8.9%
インディアン

  

2.4%
アジア系

  

0.8%
黒人

  

0.8%
混血

  

2.2%

歴史[編集]

詳細は「ワイオミング州の歴史」を参照

現在のワイオミング州の地域には昔から幾つかのインディアン部族が住んでいた。白人探検家がこの地域に入って遭遇したのはクロウ族アラパホ族、ラコタ族、ショーショーニー族などだった。現在の州南西部はスペイン帝国の領土となり、後にはメキシコアルタ・カリフォルニアの一部となった。米墨戦争が終結した1848年、アメリカ合衆国がこれらの地域をメキシコから譲り受けた。18世紀後半にはケベックモントリオールからフランス系カナダ人の罠猟師が入りこみ、テトン、ララミーなどフランス語を語源とする地名を残した。19世紀に入ってルイス・クラーク探検隊がこの地域に入ったが、この隊もフランス系カナダ人のトゥーサン・シャルボノーやその若いショーショーニー族の妻サカガウィアがガイドを務めていた。1807年には隊員のジョン・コルターが初の地誌を残した。当時イエローストーン地域の報告は作り話だと思われた。1812年にロバート・スチュアートと5人の隊員がオレゴン州アストリアからの帰途、サウスパスを発見した。後のオレゴン・トレイルがこの峠を通った。1850年、ジム・ブリッジャーが現在ブリッジャー峠と呼ばれる所を見つけ、1868年には最初の大陸横断鉄道であるユニオン・パシフィック鉄道が、さらにその90年後には州間高速道路80号線が通った。ブリッジャーはまたイエローストーン地域も探検して報告書を提出したが、コルターのものと同様、当時は大ボラだと見なされた。

この地域は1865年までに「ワイオミング」と呼ばれるようになった。オハイオ州選出アメリカ合衆国下院議員J・M・アシュレーが「ワイオミング領土の暫定政府」を作る法案を議会に提出した。「ワイオミング」という言葉はマンシー族の言葉で「大きな河床」を意味する xwé:wamənkが語源とされているが、1809年にトマス・キャンベルが著した詩『ワイオミングのガートルード』で有名になっていたペンシルベニア州ワイオミング・バレーに因んで名付けられたともされている[3]

州東部のララミー砦に展示されている12ポンド山岳榴弾砲

1867年にユニオン・パシフィック鉄道がシャイアンの町に到達した後、地域の人口は着実に増加を始め、連邦政府は1868年7月25日にワイオミング準州を設定した。南隣のコロラド州とは異なり、ワイオミングでは金や銀のような貴金属はほとんど発見されず、コロラドのような急速な人口増大も起こらなかった。ただし、1867年にカリッサ鉱山で金の産出を始めた後は、サウスパスシティで一時的なブームが起こった。さらにシエラマドレ山脈とグランドエンキャンプメントに近いスノウイー山脈の間などの地域では銅が産出された[4]

政府が後援したイエローストーン地域への探検が行われ、以前のコルターやブリッジャーの報告が真実であったことを証明した。このことで1872年に世界初の国立公園となるイエローストーン国立公園が創られた。この国立公園のほとんど全ての領域がワイオミング州北西部の中に入っている。

1869年12月10日、準州知事ジョン・アレン・キャンベル普通選挙法に署名して法が成立し、投票権が女性に拡大された。これはアメリカ合衆国の州の中で初のことであった。ワイオミング州の政治の世界では、こののちも女性にとって初のことが続いた。例えば1870年、ララミーでは女性が初めて陪審員を務めた。同年のララミーではメアリー・アトキンソンが女性初の廷吏となり、同年サウスパスシティではエスター・ホバート・モリスが女性初の治安判事になった。初の女性知事選出もワイオミング州であり、1925年就任のネリー・テイロー・ロスである。(ワイオミング州と同年にテキサス州も女性知事を選んだが、ロス知事の方が先に就任した)。これら女性に与えられた権利の故に、ワイオミング州は「平等の州」というニックネームがある[5]

ワイオミング州憲法には女性参政権も含まれ、また水利権に関する条項も新しかった[6]。ワイオミングは1890年7月10日にアメリカ合衆国44番目の州に昇格した[5]

1892年、ジョンソン郡戦争が起こった。これは牛の牧場主集団の間で争われたものだった。この話をもとにして1953年のシェーン、1980年の天国の門などの映画が制作された。連邦政府で成立したホームステッド法によって小さな牧場主が大量に流入した。片方あるいは両方の集団がジョンソン郡の公有地の使用を巡って商売よりも暴力に訴えたときにこの境界紛争が起こった。

地理[編集]

ワイオミング州の郡一覧」も参照

ワイオミング州

ワイオミング州の地形図

ワイオミング州の位置と大きさ[編集]

ワイオミング州は北にモンタナ州、東にサウスダコタ州ネブラスカ州、南にコロラド州、西にユタ州アイダホ州と隣接している。SF映画・未知との遭遇のロケ地として有名になったデビルスタワークルック郡ムーアクロフト近郊に位置している。南州境は北緯41度線、北州境は北緯45度線、東州境は西経104度3分線、西州境は111度3分線であり、ワイオミング州は隣接する州との境が全て直線で引かれる3州の1つである(他にユタ州コロラド州)。19世紀に州境を定めるための測量が不正確だったために、法律上の州境はこれら緯線や経線と最大0.5マイル (800 m) ずれている地点がある。特に北緯45度線の山岳部で著しい[7]。面積97,814 平方マイル (253,348 sq km) を包含する国内で10番目に大きな州であり、23郡で構成されている。州の北端から南端までは280 マイル (444 km) あり[8]、東端から西端までは南州境で360 マイル (587 km)、北州境で342マイル (550 km) ある。

山岳部[編集]

ワイオミング州はグレートプレーンズロッキー山脈が出遭う所である。全体に大きな高原が広がり、多くの山脈によって仕切られている。標高は州内最高峰であるウィンドリバー山脈英語版)のガネット峰(標高13,804フィート (4,207 m))から、州の南東隅、ベルフーシェ川の標高3,125フィート (952 m) まで変化している。山脈の主なものとして、北西部にはアブサロカ、オウルクリーク、グロスヴァント、ウィンドリバー山脈及びティトン山脈、北央部にはビッグホーン、北東部にはブラックヒルズ、さらに南部にはララミー、メディシンボー(スノウイー)及びシエラマドレ山脈がある。また、これら全てがロッキー山脈の一部である。

南中部のスノウイー山脈は地質も外観もコロラド州のロッキー山脈の延長である。西中部のウィンドリバー山脈にはガネット峰以外にも、標高13,000フィート (3,962 m) を超える山が40以上ある。北中部のビッグホーン山脈はロッキー山脈とは幾らか孤立している。

北西部のティトン山脈は50マイル (80 km) の長さがあり、その一部にはグランドティトン国立公園がある。この公園内にはワイオミング州で第2の高峰グランドティトンがある。

州の中央部を大陸分水界が南北に貫いている。分水界より東側の川はミズーリ川水系に流れ、最終的にメキシコ湾に注いでいる。州内にはミズーリ川の支流としてノースプラット、ウィンド、ビッグホーン、イエローストーンの各河川が流れている。スネーク川コロンビア川に合流して太平洋に向かい、グリーン川コロラド川に合流して同様に太平洋に注いでいる。

州南中部で大陸分水界は分岐し、グレートディバイド盆地と呼ばれる地域を作っており、ここの水は地域内に留まってどの大洋にも流れていない。ワイオミング州全体が乾燥しているために、その水は単に土壌に浸み込むか蒸発するだけである。

ワイオミング州に源流があるかまたはを州内通って流れる川としては、イエローストーン川、ビッグホーン川、グリーン川、パウダー川及びスネーク川がある。

ワイオミング州は、通常は年間降水量10インチ以下という乾燥した州と言われている。それゆえ州内の土地は農業にあまり適さず、その代わり放牧が山麓地域などで普及している。

オールド・フェイスフル・ガイザー

公有地[編集]

ワイオミング州の国立公園と国立公園局事務所の位置

ワイオミング州の土地の48%以上がアメリカ合衆国政府に所有されており、その絶対値(30,099,430エーカー (120,000 km2))では国内6番目、比率では同5番目になっている[9]。他に州政府が6%、すなわち3,864,800エーカー (15,000 km2) を所有している[9]

国有地の大半は土地管理局と森林管理局の管理する国有林、国有草原であり、さらにシャイアン市の近くにはF・E・ウォーレン空軍基地がある。

またアメリカ合衆国国立公園局などの機関が管理する土地もある。以下はそのリストである。