コロンブスの第1回航海を詳しく見てみよう

(1) 彼の経歴について

・イタリアのジェノヴァ出身であり、織物職人の子どもという説が有力のようです。
・1476年、乗船していたジェノヴァの商船隊がフランス武装船団の攻撃を受けて船が沈没したため、ポルトガルのラゴスの町に上陸します。
・その後、リスボンに移り住み、海図をつくったり、大西洋を広く航海しています。
・1477年には、ある商館に雇われて砂糖の買い付けのためにマデイラ諸島まで行っています。
・1479年、マデイラ諸島のポルト・サント島の世襲総督の娘と結婚。

 

(2) 第1回航海について

➊ 1492年8月3日、スペイン国王の援助を受けて、3隻の船を率いてスペインのパロス港を出航します。
*サンタ・マリア号(提督:コロンブス)、ピンタ号(船長:ピンソン)、ニーニャ号(船長:ニーニョ)
*アラゴン王のフェルナンド2世、カスティーリャ女王のイサベル1世

➋ 途中、大西洋に浮かぶカナリア諸島で補給を済ませ、9月1日に出航。

➌ 10月12日、カリブ海のバハマ諸島の未知の島に上陸。この島を、サン・サルバドル島と名づけました。
*彼は、カリブ海諸地域を周航(4回の航海)しますが、生涯にわたって東アジアの一部だと信じていました。

➍ サン・サルバドル島には黄金はなかったので、付近の島を次々と探検しました。

➎ 10月27日、キューバ島を発見。キューバ北岸バリアイ湾に上陸し、航海日誌に「人間の目が見たもっとも美しい土地」と記しました。
*11月2日、コロンブスは2名の部下にこの島の探検を命じましたが、4日後に帰ってきた彼らは、「奥地の村では、片手に松明をもった男女が、煙を吸っていた。くれたので吸ってみると、酒に酔ったようになって、体が軽くなった。」と、タバコについて報告しています。
*バリアイ湾の綴りは、Bahia de Bariay です。
*3隻のうちの1隻『ピンタ号』はキューバ付近ではぐれてしまい、サンタ・マリア号とニーニャ号だけになってしまいました。コロンブスは、ピンタ号の船長が黄金を探すために、わざと船団から離れたと疑っています。

 

➏ 12月6日、スペインの海岸に似ている島を発見しました。そのことからイスパニョーラ島と命名しました。
*12月25日のクリスマスの夜、沖に停泊していたサンタ・マリア号は、激しい潮の流れに巻き込まれて岸の方に流されてしまい、座礁しました。
*彼は、サンタ・マリア号を解体して、ラ・ナビダードに砦を築きました。これがアメリカ初の入植地です。
*1496年にコロンブスの弟『バルトメロメオ』が島の南部に建設した『サント・ドミンゴの植民都市』は、1990年に世界遺産に登録されました。

 

➐ 1493年1月4日、44人をイスパニヨーラ島に残して、スペインに向けて出航しました。
*最後の1隻、ニーニャ号だけでは全員を乗せることが無理だったため44人を残しました。
*結局、第1回の船旅では黄金を見つけることができませんでしたが、帰りの船にはパイナップル、タバコ、トウモロコシ、オウムなどの珍しい品物が積まれていました。

➑ 3月15日、スペインのバロス港に到着。4月半ばにバルセロナで、両国王(イサベル女王、フェルナンド王)に謁見しました。

*6人の先住民とわずかな黄金を含む品々を献上したところ、両国王は大喜び。