小田内隆 『異端者たちの中世ヨーロッパ』 

 

  今日の日本で,俗に異端という場合には宗教上の立場と関係なく,主 流派に対する反主流派程度の意味で,学界の異端児,などと用いられる 場合には,独創性をさす賛辞として用いられることも多い。しかし,宗 教改革以前の中世ヨーロッパでは,ことは違った。正統と異なる異端説 を奉じることは身のおきどころをなくすだけでなく,財産没収や生命の 危険に身をさらす,まさに命がけのできごとであったからである。しか し歴史的にみれば確固たる正統が異端をそういうものとして上から断じ, 危なげなくラベリングを行い得ていた期間は以外に短い。『異端者たちの 中世ヨーロッパ』は,その辺の事情にもふれ,非正統からみたキリスト 教の可能性と葛藤の物語とも言える仕上がりになっている。本書の構成 は以下のようである。 

 

関連年表 序 章 異端からのまなざし 第1章 正統と異端の地平 第2章 「身体」をめぐる抗争 ―얨カタリ派二元論 第3章 「言葉」をめぐる抗争 ―얨ワルド派 第4章 「富と権力」をめぐる抗争 ―얨フランチェスコ会聖霊派とベガ ン 第5章 キリストのための戦い 終 章 権力の歴史へ 以下所感を交えながら,本書の内容を紹介したい。本書も指摘してい View metadata, citation and similar papers at core.ac.uk brought to you by CORE るように初期中世以前の古代末期にはキリスト教のアイデンティティの 確立をめぐる戦いがあり,キリスト教の正典としての新約聖書が成立す るのも4世紀末のことにすぎない。それ以前には異なったイエス,異なっ た福音を主張する多くのカリスマ的指導者がいてそれぞれに異なるキリ スト教を叫んでいたのである。 イエスの福音をめぐって初期には様々な解釈の潮流が存在し,生成期 には複数の『キリスト教』の可能性があったことを端的に示すのが,2 世紀から3世紀にかけてのキリスト教史上最大最古の異端グノーシス主 義の運動であった。グノーシス主義は,秘教的な知によって救済に達す るという信仰によって危険視され,夥しい数の文書を輩出したが4世紀 までに排除され,その後は歴史の闇に葬られた。ナグ=ハマディ文書の 発見によってその全貌が知られるようになるのは 20世紀のことにすぎ ない。 そして,グノーシス主義を排除したあとのキリスト教は,三位一体論, キリスト論を核とする正統信仰を整えて行き,451年にはカルケドン信 条を定立する。また4世紀後半には,カトリック教会におけるローマ司 教の首位権が広く受け入れられにいたる。ローマ帝国による公認,国教 化もなされた。しかし,中世にはいるとヨーロッパ住民の大部分がロー マ・カトリックの洗礼をうけながらなお異教的伝統に生きると言う状況 をうけ,また識字率の問題もあり,教義論争が住民の間に広範な反響を もたらすといった光景はいったんなりをひそめ,中世に固有の異端の歴 史は,11世紀,教皇の首位権が現実の指導権として主張されるのをまつ ことになった。

 

この過程では教会の刷新が問題となったが,著者によれ ば宗教が権力として発現する事態を迎えて中世に固有の異端の歴史が口 火をきることになるのである。 むろん紀元千年前後からは都市を中心に異端が散発し,11世紀後半に は,教会改革者が,シモニア(聖職売買),ニコライズム(聖職者の妻帯) を「異端」として問題にして「教会の自由」のためにたたかうという状 況はあった。しかし,中世異端史のパースペクティブから見て,より重 要な変化がこの間におきていたと著者は言う。著者の命名する不服従の 異端の成立である。つまり信仰の問題にかかわりなくローマへの不服従 を異端とみなしたことで,政敵,反逆者,偽誓者,不敬の言葉を吐く者, 124 藤女子大学キリスト教文化研究所紀要 高利貸し,性的逸脱者,魔術使いなど雑多なカテゴリーのひとびとに異 端のすそ野は広がりえた。 小田内は,わけても,カタリ派,ワルド派,聖霊派=ベガンの3つの 異端は教会の真理の権威を根源的なレベルで脅かし,最も危険視された 存在であったと述べる。

 

本書が主に解説するのはこれら3つの異端で, かくして,第2章から第4章では,身体・言葉・富と権力という中世の 教会がかかえていた「根源的葛藤」にまつわるトポスに注目しながら, これら3つの異端の選びの物語が語られることになる。「選び」とは,本 書を通じて用いられる小田内固有の表現だが,嚙み砕いて言えば,正統 がつむぐ異端=悪魔の陰謀のような物語に対して,異端の視点に立った 物語があるという立場にたった命名で,異端者もよきキリスト教徒たる ことを自認して彼らなりに救いに至る道を模索して「選んで」いたとい う視点にもとづくものである。無論,異端者が何を考えていたかを知ろ うとしても史料の多くは教会側にたった聖職者によって残されたもので あるという問題がある。そのため異端者の選びの物語といっても,多く は異端に対する教会の応答に多くの頁をさかざるをえないが,異端が引 き起こした波紋をたどることで,少なくとも正統と異端の対立が生じた 歴史的コンテクスト,「トポス」が浮かび上がってくるだろうと小田内は 言う。では,以下,トポスに注目しながら3つの異端の軌跡をたどるこ とにしよう。

 

 まず,カタリ派から。1143年,ケルンの近郊で,キリストの足跡に従 う使徒的生活の模倣者を自認しカトリック教会を否定する異端が出現し た。彼らは,同時代の報告によれば,独自の教皇や司教を持ち,カトリッ クの秘跡を否定し,按手のみによる聖霊の洗礼をおこなっていた。これ がカタリ派に関する最初の報告である。カタリ派は,善き精神世界と悪 しき物質世界の対立という構図の二元論的世界観をもち,人間は,本来 天使であったが,悪魔の仕業により失墜してこの世では肉体という牢獄 に閉じ込められているのであって霊魂が身体から解放されることで救済 が果たされると考えていた。この異端が,南仏で拡大をみてやがてアル ビジョワ十字軍とよばれる異端討伐の惨劇を生んだことはよく知られて いよう。さて,以下は,ここから浮かび上がる身体のトポスについての 小田内の語り口である。