【映画ネタバレ】ドクターコトー結末ラスト感想とあらすじ評価解説。最後に誰が死んだ?“先生の背中”ד手をとる手”に込められた意味とは

人を救って人に救われて、
ずっと、ここで生きてきた。

映画『Dr.コトー診療所』は、2006年のドラマ2期から16年ぶりの続編であり、19年以上にわたって志木那島の医療を担い続けてきたコトーが、シリーズが常に抱えてきた「避けようのない現実」とついに直面する様を描き出します。

本記事では映画『Dr.コトー診療所』のネタバレ有りあらすじとともに、本作で象徴的に描かれていた「背中」と「手をとる手」を通じて、シリーズを締めくくる本作が最後に伝えようとしたものを解説・考察していきます。

映画『Dr.コトー診療所』の作品情報

監督は、ドラマ版の演出を務めた中江功。また脚本も同じくドラマ版の脚本を手がけてきた吉田紀子が担当する。そしてドラマ版主題歌として知られる中島みゆき「銀の龍の背に乗って」が、シリーズを締めくくる本作の主題歌も担った。

映画『Dr.コトー診療所』のあらすじとネタバレ

日本の西端に存在する美しい島・志木那島。19年前に東京・昭栄大学附属病院からこの絶海の孤島の診療所へと赴任してきた外科医・五島健助=“Dr.コトー”は、島でただ一人の医師として島民の命を背負ってきました。

長い年月を経て島民にとってかけがえのない存在となったコトー。数年前には診療所の看護師・彩佳とついに結婚し、彩佳の体には妊娠7ヶ月となる二人の子が宿っていました。

 

過疎化・高齢化が進む志木那島の診療所を、妻の彩佳、自身のよき理解者である役場(市の一部となったことで現在は「村」から「市」の管轄に)の職員・和田、そして島出身で彩佳に憧れ看護師となった那美の3人で営むコトー。

自力で坂道を上っていた自転車も電動自転車へと代替わりしたものの、診療所での診察はもちろん、島中をめぐる往診を変わらず続けていました。

ある時、若き医師・織田判斗が島に訪れます。東京の大病院の御曹司である彼は、「修行をしろ」という父の言葉のもと診療所に短期間ながら赴任してきたのです。

判斗が島に訪れたのと同じ頃、島の漁師・剛利が同じく漁師として働いている青年・邦夫をかばう形で仕事中に足へ重傷を負い、診療所に運ばれます。コトーの手術により足は切断せずに済みましたが、漁師の仕事を再びできるようになるには、長期間のリハビリが必要でした

検査の結果判明した、コトーの病名は「急性骨髄性白血病」。現代では決して不治の病ではなく、寛解の可能性も十分にある病ではありますが、「今すぐに治療を」と鳴海は警告しました。

やがて、剛洋が島に帰ってきます。「スナックまり」では元漁労長で今も“島のご意見番”な重雄をはじめ、その帰省を島民に大歓迎されますが、剛洋の浮かない顔は消えず、いつの間にかその場を去ってしまいます。

正一を通じて、他の島民にもコトーの病が知らされました。

坂野は判斗に「コトーが回復するまで、この島の医者を担ってもらえないか」と頼みますが、判斗は島民の誰もが理解していながらも、心の内にしまってきた「現実」を語ります。

「コトーのような島民との信頼関係の基づく治療は、自分には到底できない」「たとえ自分がこの島の医者となったとしても、もし自分がいなくなったらどうするのか」「この島の医療は、一人の医師の良心と自己犠牲で成り立っている」

「皆が頼り過ぎたから、コトー先生は疲れ果ててしまったんじゃないか」「《病気》って、そういうものじゃないのか」……。

その頃、島には台風が接近していました。

多くの島民が公民館へ避難を進める中、それまで駐在所にいた剛洋も、一度剛利が暮らす実家へと帰り、邦夫とともに消防団の活動を手伝うことにします。

やがて島では土砂崩れが発生。「その災害で大勢の負傷者が」という知らせが届いた診療所ですが、病身のコトーは呼べず、災害現場にも応急処置要員が不可欠という窮地に立たされます。

「コトーの背中」を見続けてきた人々

2006年のドラマ2期から16年ぶりの続編であり、19年以上にわたって志木那島の医療を担い続けてきたコトーの現在を描き出した映画『Dr.コトー診療所』。

シリーズを締めくくる作品にもなった本作で、最も象徴的に描かれていたのは、やはり「コトーの背中」でしょう。

2004年のドラマ1期でも描かれていた通り、当初は「島にやって来たよそ者」として島民との間に誤解などが生じてしまうこともあったコトー。しかしながら、島民の心と命と寄り添おうと努力し続けたことで人々との信頼関係を育み、そして19年という長い年月の中で、コトーは誰よりも先頭に立って島の医療を担う存在となっていきました。

そんな彼女の言葉は、彼の不調を察していた彩佳を除き、医者であると同時に「急性骨髄性白血病の“患者”」であることが発覚したコトーの以前からの不調に気づかなかった……島の医療の先頭に立つコトーの顔を見ず、彼の背中を見続けることにいつしか違和感を抱かなくなってしまった、彼女自身を含む島民全員に刺さる言葉でもあります。

背中に未来を見る者、隣に立とうとする者

19年もの間、たった一人の医者として島の医療を担い続けてきた男が、医者であるはずの自らの病によって、ようやく築き上げられた島の医療があっけなく崩壊してしまう現実。

そんな現実に直面した時、男は一体どんな表情を、その顔に浮かべるのか……とても答えようがない、筆舌尽くしがたいそんな問いを、映画『Dr.コトー診療所』は作中で「コトーの背中」を描き続けることで、島民同様に「コトー先生」の名で五島健助という人間を呼び続けてきたシリーズのファンにも問いかけるのです。

しかしながら、作中の判斗のように、島民たちやシリーズのファンに対しただ“現実”を突きつけるためだけに、映画は「コトーの背中」を描いているわけではありません。

妻・彩佳に「死にたくない」という心からの言葉を吐露してもなお、「医者として人々を助ける」という意志を全うしようとする姿。そして映画終盤、那美の祖母・美登里の手術を終えたコトーの背中に、ただ深く頭を下げる判斗の姿。

その描写からは、自身にどのような出来事が起こっても医者としての意志を捨てないという、19年前から抱き続けてきたコトーの覚悟。何よりも、少年だった剛洋がそうであったように、彼の背中を見続ける人々の中には、自身の意志を次の時代へとつないでくれる者も現れるという“未来”が読みとれます。

そして、その未来は決して“希望的”ではなく“現実的”であることは、「漁師として働き続けられるか分からない」という絶望的な状況の中でも、「おれは諦めねえぞ」と診療所で倒れたコトーを叱咤した剛利と、その言葉に突き動かされノブおじの心肺蘇生を再開した剛洋……現在の自身が精一杯できることを全うし、「人を助ける」という行為を通じてコトーの“隣”に立とうとした父子の姿が証明してくれたのです。

義父母への病の告白後、再び倒れかけてしまい痛みに苦しむコトーに、彼の手に触れながら「生きて」と訴えた義母・昌代。「死にたくない」と涙ながら口にしたコトーの手に触れながら、「絶対治る」「大丈夫」と励まし続けた彩佳。

そして映画のラスト、無事誕生した彩佳との子が差し出してきた小さな手に、医者として、父として、何よりも人間として、手で優しく触れたコトー………「コトーの背中」と同じく、「手をとる手」もまた、映画『Dr.コトー診療所』作中にて象徴的に描かれていました。