よく言われる、活気のある会社、風通し良い会社
とは、どのような会社なのでしょうか。
生きている会社か、死んでいるそれかで言うと、
生きている会社というのは、管理職の力が十分に
発揮されている会社のことです。
その管理職の「力」とは何か。それは、言葉の力。
相手に言葉で物事を伝える力量のことなのです。
言葉の力に、その人の純粋な熱量が加わることで、
周囲の多くの人達の共感や賛同を得て大きな影響
力を持つことになるのです。
死んでいる会社ほど、部長、課長、係長と言われ
る管理職層が組織に埋没し、その言葉が聞こえて
こない、響いてこない会社なのです。
死んでいる会社には、こなす、さばく、いなすに
長けた管理職が多いという特徴があるのです。
目の前の仕事だけをこなし、社内調整業務を巧み
にさばき、役員のプレッシャーを上手にいなす。
いますよね、こういう管理職。
たちが悪いことに、こなす、さばく、いなすこと
が仕事ができるという尺度になっていて、それを
部下に伝えることに疑念がないことなのです。
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一方で、生きている会社の管理職には、挑む、変
える、行動する。
新たな挑戦や変革が管理職のミッションであると
自覚し、最前線で考えながら工夫し、動き回って
いるのです。
このような言動が組織の文化となっていて、部下
からも尊敬されつつ伝承されていくのが「生きて
いる会社」なんですね。
生きている会社の管理職は、現場で今何が起きて
いるのか、顧客の要望は何か、競合相手はどう動
いているのかを常に考え行動しています。
自分を取り巻いている状況を、つぶさに観察して
自分なりの言葉で伝える術を身につけている。
死んでいる会社の管理職はただ現場にいるだけで
周りを観察する意志や力量がまるで無く、上司の
顔色だけを観察しているのです。
最前線の現場に、「居る」ことと「観る」ことは
全く違うのです。死んでいる会社ほど、管理職に
「観察する力」が足りていないのです。
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もうひとつ、生きている会社の管理職は、「跳ぶ
力」を備えているのです。
そもそも管理職に求められるものは会社の常識や
過去の延長線には無い発想や行動力であるはず。
生きている会社の管理職ほど、現場での気づきや
閃きを言葉と行動に映し、新たな価値を生み出し
ていくもの。
しかし、死んでいる会社の管理職ほど、会社に閉
じこもり、会社の常識が最善と思い込み、会社と
同質化して埋没してしまうのです。
つまり、「大胆な仮説」へ昇華させる「跳ぶ力」
が決定的に足りないのです。平たく言うと夢を諦
め、現実に安住して引きこもると申しますか・・
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生きている会社の管理職は、任されたチームを動
かし、上司である役員たちを説得、理解と了承と
支援を得なければなりません。
そこで物を言うのが「伝える言葉」「伝える力」
です。感動と共感を得る言葉を選び、事実をちり
ばめたストーリーを創ることが求められるのです。
しかしながら、死んでいる会社の管理職は、表面
的な理屈や独りよがりな自説を淡々と事務的に述
べるだけに止まってしまうのです。
また、生きている会社の管理職には「はみ出る力
」や「束ねる力」「粘る力」」が備わっています。
はみ出る力とは、創造や変革を伴う時に必ず現れ
る「抵抗勢力という敵」に立ち向かう力です。
束ねる力は文字通り、部下の能力や特性を理解し
た上で自分のチーム力を上げ、その結束力で単独
では厳しい問題解決や変革に立ち向かう力です。
そして、粘る力は、食らいつき、直ぐに諦めない
胆力のことです。
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会社は、日々変革していかなければ、失速して地
に墜ちて行くのです。その中で、管理職は、創造
と変革の推進エンジンでなければなりません。
可能性を秘めているにも拘らず、くすぶり続けて
いる管理職は多いものです。
私の会社を見渡しても確かにそんな若手管理職が
多いと感じています。
彼らに火を付けて覚醒させ、自信に満ちた言葉と
伝える力を発揮させるることができるかどうか。
これからの日本の会社の「生きるか」「死ぬか」
が、彼らの言葉に懸かっているのであります。


