日本人は、喜怒哀楽を表に出さないように教育され、謙虚の美徳を好む
性質が自然に身についています。
気持ちをぐっと堪えて、飲み込んでしまう。
功績は敢えて言わないし、誇らない。
謙虚こそが日本人であり、人間として好ましいと思い込んでいるのです。
しかし、そのような同調の圧力に納得し、自分を押し殺して自己満足する
時代では無くなっています。
50歳を過ぎ、ましてや60歳、70歳を過ぎても自慢の一つも出てこない、
意識できないということでほんとに良いのでしょうか。
謙虚の美徳を通り越して、自慢話や誇れるものが何も無い人生だったの
かと心配になってしまうのです。
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一般的に「高齢者の自慢話」は疎まれることの方が多いものです。
忘れっぽさと相まって、何度も同じ自慢話を聞かされたりするとため息も
出るものです。
聞かされる側も、口では「ダサい」「面倒くさい」「うるさい」と言ってはいます。
その反面、何の自慢や誇れる話が出ない高齢者には、「誇れるものが何も
無い?」「大した先輩じゃないのか?」と思っているのです。
今、若者に敬意を持たれず、ナメられている年長者が多いとすれば、年長者
が必要以上に謙虚謙譲を演じていることに責任の一端はあるのです。
謙虚すぎて卑屈になったらもっと評判を落とすことになるし、必要以上に自慢]
話をしすぎて嫌がられてもいけません。そこには高齢者の塩梅が必要です。
更に昨今では、謙虚謙譲の姿勢どころか、不機嫌さばかりを先に立たせて、
言葉も、表情もひんしゅくを買ってしまう高齢者も問題になっています。
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若者が本気で「この老人は自慢できる人生、誇れる道を歩んでこなかったんだ」
「ただの老いぼれ」と馬鹿にしてしまう。
そして、努力や根性を虚しく感じてしまい、身近な目標を失って人生をダラダラと
」生きるようになってしまうという弊害まで生んでしまうのです。
謙虚過ぎる高齢者を前にして、「ああ、人生なんてこんなものか」「結局は夢も刺激
もないものだ」と思い、小さな世界で満足する人間を作ってしまう。
当世若者気質として「夢無い、職無い、やる気無い」という評判がありますが、身近
にいる高齢者が自慢話もろくにできず、目標たりえないからなのです。
ですから、若者に対しては、若者のためにも謙虚ぶったり、ものわかりの良い老人
ぶる必要は全く無いのです。
いい高齢者ぶって、何になるのでしょうか。恰好つけても何になるのでしょう。謙虚
も過ぎれば卑屈になります。結果として、若者から希望を奪い取ってしまうことに気
付いていないのです。
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敢えて過去の手柄話、自慢話を、大人の節度をもって大いに、堂々とやりましょう。
若者から、「あのジジイ偉そうにしやがって」「俺はもっと凄いことになる」と思われる
くらいに振舞って丁度良いのです。
今の若者に気概が無いのだとすれば、社会の構造変化だけでなく謙虚過ぎる先輩、
高齢者にも責任があるのです。
次世代の若者が、自分たちに無関心となることを傍観せず、刺激して発奮させること
は高齢者としての責務でもあるのです。
パワハラで服従させたり、頭ごなしに一方的に指導をすることではありません。
今の若者は我慢して根性論で自己実現する思考は全くないのですから。
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本格的な超高齢化社会となる日本。50歳、60歳、70歳代の層が一番多くなります。
だからこそ、年長者が社会の空気を前向きに主導する責任があります。
決して、もう時代の主役ではないから、余計に謙虚謙譲に振舞うという考えは無責任
となるのです。
自分達が牽引してきた日本社会を誇り、昔話しではなく、大声で自慢話をしてこれから
の日本を元気にする。そういう社会を創って行きたい。
若者から反感を持たれながらも、どこかで憧れられるような、そんな生き方を目指しま
しょう。70歳以上でも、まだまだ枯れていく歳ではないのですから。


