18歳の時に車の免許を取得
当時は[普通]の免許区分は法改定に法改定を重ねて
[中型] (中型は中型(8t)に限る)
にグレードアップしていたが多くの人がそうであるように使い道はない
そんな普通車しか運転したことがない車人生だが事故の経験もある
人身事故の加害者ではなく物を壊すに留まったことが不幸中の幸い
そんな(物損)事故歴の中でも最悪だった事故の顛末を語ろう
時は2003年9の月
(まだ)若かったワタシはその年の夏休みは
北の大地・北海道
を巡る計画をしていた
他府県の追従を許さないその圧倒的な巨大な大地は魅力しかない
実は前年2002年にも北海道へ単独で旅行をしており
北の大地をかっとばす爽快感にの壮大さにすっかりハマってしまっていた
前年に引き続き宿泊施設の利用はせずに全行程"車中泊"を計画(ある意味無計画)
起きたい時に起きて
食いたい時に飯を食い
各地に点在する温泉を満喫しながら
寝たくなったら(道の駅or開発局駐車場)で車中泊
何にも縛られない非日常生活は感動すら覚える
車中泊なので自車一択となるため北海道まではフェリーでのアクセスとなる
初日から事故前日
茨城県大洗港から北海道苫小牧港まで予定通りフェリーの旅
2002年は苫小牧から旭川、富良野を経由して宗谷岬まで北上
その後は日本海側の西岸沿いに南下して積丹半島、函館を周って札幌へ
南下して苫小牧といった西半分を周る行程だったので今回2003年は...
苫小牧→襟裳岬→釧路→網走と東岸を経由して宗谷岬
以降は2002年とほぼ同じコースで文字通り一周を目論む
2回目ともなると要領も掴み順調に行程は進む
Xデー前日には宗谷岬に到達することになる
Xデー(事故当日)
前夜は宗谷岬の駐車場で車中泊
朝食は"うにいくら丼"目当てにノシャップ岬にある「樺太食堂」
うにいくら丼にしようかと思ったが日和って三食丼にw
痛風殺しの旨さで死ぬまでにもう一度食べたい()
食後は利尻島を右手に望みながら西岸沿いの道をひたすら南下
天塩あたりから国道232号線に入りほぼ真っすぐな道を順調に飛ばす走行を続ける
そこで運命の時が迫る
2台前に10tトラック、1台前は普通車と3台連なっての走行中
トラックが遅い(っても制限速度)ので直線道路であることをいいことに
普通車もろともトラックを追い越そう(違反)と車線変更しながら加速を開始...
その時
トラックは曲がった
10tトラックは道の右側にある工場に入ろうと右折を開始
その挙動に気づき全力でブレーキをかけたものの
追い越し加速中であったがため間に合うハズもなく
10tトラックの右側面にこちらの車の左側面が衝突
比較的重量のあるRV車ではあったものの約10倍の重量差は圧倒的
アッサリと右に弾かれて路側帯の草むらに突っ込んで停止
お互いの側面同士を掠めたので彼我共に怪我もなかったのであるが
こちらの車は惨憺たる有様
左フロントフェンダーはベコベコ
左のドアミラーは吹き飛び
左前輪は千切れ飛ぶ
事故直後は茫然自失
自宅から1000kmの海を隔てた土地で事故った事実をすぐには受け入れられず
車から降りるも車を状態を見て自走不能を理解して頭は真っ白
※画像は事故後修理工場にて
呆然としながらも警察の現場検証と事情聴取に対応する
状況は「100%ワタシの瑕疵ですゴメンナサイ」であるが
相手方も動いていたのでそうもいかず
後日の保険屋同士の交渉により 9:1 の過失責任で決着(保険屋任せ)
本当に申し訳ないデス
事故現場---(当時と風景が変わってなくて草)
しかし事故も大変だったがこの後も大変だった...
なにせタイヤがモゲてるので完全に自走不能状態
応急処置でなんとかなるような生半可なレベルではなく
現地の修理工場にそれなりの期間預けて身一つで帰宅するしかない状況
ということで公共交通機関で帰る選択肢しかなくなる
がしかし現地はほぼ公共交通機関はなく(実はあったことを知るのは帰宅後)
札幌から200km超の距離があり
最寄駅の宗谷本線の「佐久駅」までは25kmほど
先方との事故処理と現地の修理業者との話がおわったのは17時ごろ
仮にタクシーで佐久駅に向かっても当日中に札幌へたどり着くことは不可能な模様
ガラケーでネット接続もできたがそんな余裕はなく
急速に闇に向かう中、途方に暮れる
しばらく考えた結果、当時札幌に住んでいた友人に救援を頼むことに
幸い連絡はとれたものの世間は平日で友人も仕事中
が窮状を察してくれて仕事を切り上げて迎えに来てくれることに
恐悦至極に存じます
それにしても仕事おわってから下道で往復400km...(翌日ももちろん仕事)
事情が事情とはいえよく快諾してくれたものです
友人が現地に到着したのが22時
復路も4時間余りと札幌に戻ったのは翌午前2時
そのまま友人宅に一泊させてもらい翌日に札幌→千歳→羽田→自宅と
無言車の帰宅を果たす()
奪還(10月中旬某日)
保険の手続きやらを済ませて1か月ほどが経過した同年10月初旬
修理工場より修理が完了したとの連絡を受ける
グズグズしていると路面凍結の季節に突入する北の大地
すぐさま奪還の段取りを進めることにする
飛行機で千歳に飛び現地(遠別)まで移動して苫小牧まで戻りフェリーとなると
週末の2日間では足りず月曜日いっぱいの都合3日間が必要とわかる
幸いなことに翌週末と月曜日に休暇が取れたので飛行機のチケットとフェリーを予約
札幌から現地まではどうしたもんかと調べてみると都合のよい手段が見つかる
沿岸バスの長距離バス
なんと事故現場である遠別にもバス停の設定があり
事故当日もこの存在を知っていれば札幌まで戻ってこれたんじゃないかと
して奪還当日...
飛行機で千歳に着きーの
札幌駅に移動しーの
はぼろ号で移動しーの(所要時間4時間)
自走で札幌戻りーの
「だるま」でジンギスカン食べーの
友人宅に泊まりーの
翌日に苫小牧に向かいーの
苫小牧港からフェリー乗りーの
翌日に大洗に着きーの
自宅に帰りーの(画像なし)
ちなみに2003年の北海道遠征の総走行距離は1300km
車の修理代金は100万円超(車両保険)
余計にかかった交通費は概算で
飛行機(千歳→羽田): 25,000円(通常料金)
飛行機(羽田→千歳): 25,000円(通常料金)
長距離バス(札幌→遠別): 5,000円
割と大変であったものの物損に留まった点はまだ幸いであった
北の大地に関わらず運転には気を付けましょう
2002年と2003年の北海道車中泊の旅はまた機会があれば...
おしまい










