前回までの引越遍歴

 

 

 

 

a long long time ago.

昭和某年

 

somewhere in tokyo 23 wards.

東京都23区内のどこか

 

 

区内とはいえ、山の手リングからは far far away な場所

お察しください

 

 

で生を受ける

 

両親というより父親の勤め先から徒歩圏にある社宅である。

古すぎて断片的な記憶しかないのだが

生まれて数年は社宅とは言え平屋の木造戸建てのような住宅

間取りは覚えていないがかなり古い建物だった

幼稚園に上がる頃にマンションタイプの社宅が隣に建設されて移転

 

当時はまだ物心つくかつかないかであったが戦前からありそうな木造平屋から

先進的な設備のマンションのギャップに戸惑う

 

元々、木造平屋が立ち並んでいた場所は公園になり

公園の一角には子供用のプールが設置されていた

 

さらにマンション横には大人用のプールまであって

小学生の頃に(足もつかないプールに果敢に挑戦して)

溺れた記憶だけ残っている()

 

10階以上のマンションで両端にそれぞれエレベーターと階段が設置

1階部分はいわゆるピロティと呼ばれる構造になっていて

壁に囲まれた各戸の集合郵便受けがあったり集会所などの共有エリアだった

 

世代としてはアホ具合がマキシマムな男子小学生世代だったのと

今のように携帯ゲーム機やスマホもなかったので遊びは基本外遊び

ピロティがあったので天候に影響されずに遊べたのは今考えると幸せだった

 

 

で、当時流行っていたのが

 

ケイドロ

 

公園などの2D空間ではなくマンション全体を使った3D空間

エレベーターや階段を駆使するので遊びとは言え戦術的だった

前述の集合郵便受けを警察署(牢屋)として使ったり

今考えても設備を有効活用していたなと少し感心するぐらい

 

他には水風船で下を歩く友達に爆撃したりとかw

 

 

 

 

かなり昔ではるがこう書き記すと意外と記憶に残っているものである

 

そんな充実した社宅生活も数年で終焉を迎えることになる

 

続く