職員室の茶飲み話 ==>休職中!==>退職。 -76ページ目
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「そういうことはどうでもいいから・・・」

この知人の話の続き。

月150時間平均以上の超過勤務を15年間以上(残業手当は「教員だから」1円もないのです。そこんとこ、世間のみなさまご存じおきくださいね!)。(労災認定対象ですね、これは。)で、激しい頭痛・肩こり・吐き気が日常的に」継続。市販の鎮痛剤を常用し、針だ、灸だ、整体だって、評判を聞いては通ってた。

(40歳になって、「karoushi」になったら・・・というんで、記録をつけてたな、ヤツ。万が一の時には労災認定させるんだって。)

ところが、一向に改善しない。勤務時間中にも、当然、それがあり、つらすぎて、横になることがたまにあるようになった。

ペインクリニックだ、脳神経科だと病院も転々とするうち、うつではないかと・・・。精神科に行き、ズバリその診断。通院治療開始。

抗鬱剤と安定剤、抗不安剤を服用。ところが、その副作用で、つい寝込んでしまい、授業に穴をあけた。教頭から呼ばれ、厳重注意。事情を話し、相談しようとしたが、
「そういうことはどうでもいいから・・・」
で、30秒もかからずオシマイ。

そのごも、数回、同様の不始末。本人は、責任感も意欲もある。けれども、服薬の調整時期には、こんなことが起きてもしょうがないことだ。しかし、教頭は聴こうとしない、まったく。

なにごとにも責任感と意欲を自発的に強く求められるのが教員だ。そして相手は思春期の生徒という人間だ。

この知人が、そんな教員でなかったら、こうはならずにすんだだろう。

けれども、この知人は、人一倍、そうだった。

そして、「もう迷惑をかけれられないから」と、自主的に申し出て、休職。
このときすでに中程度の気分障害(うつ常態)で、休職したとたん、寝込んでしまった。

良心的だったり、志をもってたり、そんなやつが逆にこうなる。

だれだ!ろくにきょうざいけんきゅうも、かていほうもんも、せいとのはなしをじゅうぶんきこうともせずに、だからげんきにきょういんやってるのは?!

ましてや、管理職手当をもらって、将来を半ば約束されたおまえ、優秀な部下がこうなるのを見て何ともないんだよな!おまえだよ、教頭!

これが、学校の職場なんだ。

他人ごとじゃない。これは、自分もおなじ道をたどるんじゃないかって。



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これはおもしろい。

そして、今年度から

さて、昨日の話につなげていうと、昇級は勤務成績を5段階に分けて、だそうだ。
当然、給料の予算は決まってるんだから、ずいぶん上がる人と下がる人とが出てくることになる。
一般的には、しょうがないか、それも、ってことになるだろうが、「勤務成績」ってどんなシステムで決まるのかが問題なんだな。
一応、年度目標を立てて校長が見たうえで面接、年度末に自己評価と校長評価をつきあわせて面接ということになる。
ここだ。
これまでも、「勤務評定」というのがあって、それは一方的な校長評価が県教委に報告され、本人には開示されないできた。それが、面接という段階を踏むということになるから、前進ということになる・・・か?!
ちがうな。
最終的には、勤務成績は校長の判断であり、勤務評定であり、こんなにがんばったんですよっていっても、校長が評価してくれなければハイそれまでよ。
目標外のことで評価はできないから、年度途中で状況の変化に対応してどんなに結果を残しても、それは評価対象にはならない。
これまでだって、県教委の通達で虚礼廃止なんていって、年賀状なんか同勤中はやめましょうねなんていっておきながら、いい目にあった連中の実態を見てると、
年賀状どころか、三が日のうちに手みやげ持参で年始の挨拶に出向くことは勿論のこと、
お中元・お歳暮は、合計年間給料の1ヶ月分の出費を欠かさない、
会議での発言は慎重に校長の意向を汲んだ上でそれに沿ったものにし、かつ、校長の理解できる範囲内で半歩すすめた提言のかたちをとる、
面倒な実務は子飼いの後輩にやらせておいて、手柄は自分がとる、
失敗の責任は内々に後輩にかぶせる
・・・森永の言うとおりだった。
それがなくなるなんて、だれも思っちゃいない。
だから、勤務成績に関してのシステムがつくられたとしても、表層に体のいい実力主義・成果主義の衣を着せたものにおわるのは目に見えている。
それで、昇給率は変わるわけだ。
ということは、退職時の給料は大きな差がつくことになる。ということは、退職金も同様、年金も同様。
昇格は当然勤務成績によるし、年齢による昇級ストップはなくなるし、昇格すれば給与表が変わるから、校長で退職するのとヒラで退職するんじゃ、とんでもない額の差が出てくることになる。
つまり、
「いいですね、言うこと聞いて、校長の成績をあげるのに積極的に協力することが自分自身のためにもなるのですよ。それは、退職の時になってはっきりと数字で分かります。」
ということだ。
もともと5%の給料引き下げだよ。残業手当なんか一円だって教員には出ないんだよ。それが教職調整手当だった。それを全部なくしますってこと。
それに、これだよ。
校長どころか、同僚にさえ見えないシャドーワークなんかに、月150時間も使って自腹でガソリン代出してなんてやったひにゃ、・・・。
年賀状出したことない、お中元お歳暮なんて、そんな金どこかだ出すの、ってわたしには、もうあとがないな。
生徒の最善の利益のためには、シャドーワークしなきゃしょうがないこともある。家族を犠牲にしてでも。自分の発熱なんか、生徒が考えて問題起こしてくれるわきゃないし。
んんん、考えるよねえ。

これから、こんな時代になるんだね。

森永卓郎『新版 年収300万円時代を生き抜く経済学 給料半減でも豊かに生きるために』知恵の森文庫 光文社 2005.5.15初版1刷
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第1章 日本に新たな階級社会が作られる
アメリカン・ドリームの嘘
アメリカ社会は「みんなに公平にチャンスがある。努力と才能が報われる社会」と言われる。だが、実はこれが最大の嘘なのである。p.88
アメリカは「フェア」じゃない
小学校の段階から一般の公立学校と私立のエリート校では教育内容がまったく違うのである。子供を私立のエリート校に入れることができるかどうかは親の経済力次第である。教育の入り口のところから差別があってエリート階層の子弟でなければエリートにはなれない社会なのである。これでもアメリカはフェアな国で公平にチャンスが与えられた国なのだろうか。p.89

第2章 年収300万円時代がやってきた
「自分は勝ち組になれる」という幻想を捨てろ
今後、新階級社会への転換が進めば、「自分は勝ち組になれる」などと甘いことは言っていられなくなる。会社がいう「成果主義」というのは、いわばお題目にすぎない。何度も言うが、能力主義・成果主義が強化されるということは、特定のエリート階層だけが受け取る分け前を増やしていこうという意味なのである。経営者が本当にやろうとしていることは、エリートに手厚くして、その代わり、エリートではない一般社員の待遇をどんどん引き下げていこうということなのである。実際、すでに多くの企業が成果主義を実施しているが、その成果主義で個人個人の努力や能力がちゃんと評価されているだろうか。コネ、ゴマスリ、同期の足を引っ張るのがうまい奴ばかりが良い目をみてはいないだろうか。最近、富士通など成果主義を見直そうという企業がいくつか出てきているが、それが成果主義の人事が公平でないという何よりの証拠ではないか。だが、この流れはもう後戻りできない。さらに極端になっていく。エリートばかりが給料や労働条件の限られたパイをとれば、その分、エリート以外のパイは小さくなるのは当然なのだ。結果として、いまは中間層にいる大部分の人たちは、今後は下の層に落ちていかざるを得ない。少なくとも、9割の人たちはズルズルすべり落ちていく。「負け組」にならざるを得ないのだ。その最終的なゴールは、エリートと非エリートの年収格差が「100倍」になることなのだ。p.114-5

第3章 年収300万円時代の本当に「豊かな」生き方
「休みはとれない」は大きな間違い
いまの日本人は明らかに働きすぎだ。働きすぎは仕事の効率を落とすのである。ある経済学者が発明した「仕事効率関数」という数式を使って計算すると、いまの労働時間よりも2割少ない労働時間のほうが、最も効率が高いのだそうだ。p.142
「老後のための貯蓄」よりもすべきこと
夢を語ってはいけない。「いつかできたらいいね」という夢は永遠に実現しないことが多いし、いざやってみたら思っていたのとは違ったということも多いのだ。繰り返すが、必要なのは「ドリーム(夢)」ではなく、「タスク(課題)」だ。思いついたらすぐやる。駄目だったら、すぐに別のものに切り替える。p.156

第5章 本当の幸せとは?私自身の「年収300万円時代」
私の「年収300万円時代」
「勝ち組」に生き残るためには、人間としての良心や健康、家族や地域とのコミュニティなどは、全部捨てなければならないのだ。p.266
だが、一つだけどうしても言っておきたいのは、「これから日本が市場原理主体の社会に変貌するなかで、能力や成果が正当に評価されるようになるのだから、きちんと仕事で成果を出していけば、それが出世に結びついていく」と考えるのは、完全な誤りだということだ。それは、外資系企業の内情を知ればよく分かる。
這い上がっていくためには、①いかに人の手柄を横取りするか。②いかに自分のライバルを蹴落とすか。③いかに自分の上司に取り入るか。この三つに長けていなければ絶対に這い上がることはできないのである。
出世のためなら、良心をかなぐり捨てることができるタイプだけが出世の階段をのぼっていく。努力が報われるとか、能力が正当に評価されるということ以上に、何よりも出世欲が重要なのである。p.267
最後まで市場原理の連中と戦っていくという、ささやかな覚悟
この国で一揆が起こる可能性が少しでもあるのなら、私は一揆を勧める。だがいま、その可能性が、どれくらいあるかと考えると絶望的になるのだ。
社会が「一揆」を起こす力をすでに失っているのだとしたら、金持ちになれない一般庶民は、逃散するしかないのではないか。しかも、それは金持ち階層へのかなり有効な反撃になるのだと思う。なにしろ、年収300万円からは、さほど年貢を搾り取ることができないのだから。p.270

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