負荷をかけられている時は何かと面倒くさいものだ。
頭が思うように働かないのも理由としてあるのかもしれない。

考えたくないのに、考えることを余儀なくされるから?
・・・と考えるのも正直どうでもいい。

〆切までにこなさなければならない事務作業のあれこれ。
PCの前でキーボードを叩くのはウンザリする。
目・肩・腰・・・全部やられた(苦笑)

イライラというよりも、そっとしてください。
誰かに何を言われてもいい。
反応するのが、億劫なんだ。

そう思っていたんだけど、これって1つの技じゃないかな?
普段ならイライラするのを、「どーでもいい」で受け流す。
右から左へ。上から下へ。

結局イライラしない。
俺、疲れない。

これ、「あり」だね。
友人の友人が自らその短い人生を終えた。
享年26歳。

俺はその人とは面識がない。
だから、悲しくはない。

だけど、虚しい。とてつもなく虚しい。

いろんな意見があると思う。
「相談してくれれば・・・」
「なんで異変に気づけなかったんだろう?」
「周りに迷惑をかけるなんて最低だ」
「他にもっといい方法があったはずなのに・・・」

どれも正しい意見だと思う。全くその通りだ。

でも、自分に余裕が無かったり、追いつめられているときに
そこまで冷静になれるのだろうか?

あくまで憶測だけど、凄く優しい人だったんだと思う。

きっと相当に苦しかったはずなのに、
「これは自分自身の問題だから、自分で解決しなければ・・・」
「周りに不快な思いをさせてはいけないし、そんな姿を見せてはいけない」

そんなことを考えていたとしたら、おそらく誰も気づけなかったと思う。
いつも通りの、普段通りの”その人”だったのであれば。

誰も悪くない、そう、誰一人として。

なんともない周りの人からすれば、残念だし、胸が潰れるくらい悲しいことだけど
当人にとって一番楽になれる選択だとすれば、俺は共感できないけど
ひょっとしたら尊重してあげたほうがいいのかもしれない。

今はただその人の冥福を祈ることしか出来ない。
虚しい。。。
人の考え方を他人が変えるのは無理。
なぜか?他人だから。

結局本人が自主的に「変わる」選択をしない限り、
何も変わらないし、変えられることもない。

と、ここまでは結構前から理解していたことなんだけど、
こいつを自分に置き換えてみると、なかなか難しい。

「いいな」と思えば取り入れたし、逆に「無いな」と思えば、
改善できるよう心懸けた・・・と思う。

俺が誰かの「変化」に協力したい思い、結局無理だと感じたように
誰かからも「コイツは変わらない」ときっと思われていたに違いない。

俺の"変化"は主観的だし、どうしても甘い評価になりがちだ。
出来るだけ客観的に判断できればと思うけど、もちろん限界はある。

他人の評価なんて結局の所、どうだっていいことだけど。
どうせ何かに挑戦するなら、「がむしゃら」になるくらいがきっと丁度いい。

がむしゃら・・・いつからなってないんだろ?
自分の中で何かを変えたつもりは全くなく、
しいて言えば考え方を少しだけ修正しただけ。

なのに、「変化しているのかも?」なんて思う今日この頃。

疲れは確かに感じている。
だけど、間違いなく肉体疲労だけ。

過度な負荷がかかっている気はするが、
さほど気にしていない。余裕があるのか?

「面倒くさい=どうでもいい」ってのを、頭の中だけじゃなく
心の底からそう思える。

それがいいのか?

これは進化?
それともその辺りの回路が壊れて、退化したのか?

倖田來未「なりたい顔」圏外ってくらいどうでもいい。。。
出会った瞬間から、旧知の友人のように気が合う人。
生理的に受け付けない人。
こんな人間とは二度と絡みたくないと思わせる人。
「この人には勝てない(なれない)」と思わせるほどスゴイ人。

全く同じ人はおらず、いろんな人がいるから面白い。

自分にパワーを与えてくれる人たちと出来れば一緒にいたいけど、
そうでない人も当たり前のように存在する。

そういう人たちとは友人関係になることはほとんどないけど、
職場などであれば、どうしても付き合わざるを得ない。

そんな人たちに対して、怒りを覚えるのか?
悪口を言うのか?非難するのか?

「俺がこういう人にならないために、この人と出会えた。」
「俺がこの人を通じて味わった不快な気持ちを、俺の友人にはさせない。」

『人の振り見て我が振り直せ』とは全くその通り。

ただし、気をつけなきゃいけないのが、他人ばかりに気を配り自分を顧みないこと。

「俺」という人間も他の誰かから見れば「反面教師」のはず。
だから、

『(自分を含めた)人の振り見て我が振り直せ』ってことだね
「今○○でしょ?顔に書いてあるよ」って実際に言われたことはないけど、
そのくらい喜怒哀楽が顔に出やすい。

特に「怒」の顔が。。。

仕事中にイライラすることは、全く無いと言えば嘘になるけど
「あ~イライラしてる」って感覚まではない。

昔から集中しているときと、イライラしている時は眉間にシワがよる。
イライラの時は、「今よってるんだろうな」って検討はつく。

でも集中しているときにそこまで頭はなかなか回らず。
トイレの鏡で自分の顔をチラ見すると、大抵よってる。

周りからするとイライラしていると見えるらしく、仕事終わりに
「今日イライラしてた?」と聞かれる。

可能な限り普通の表情で仕事に臨みたいんだけど、
何せこっちは集中しているし、難しい。

気を付けましょう!・・・って何を?
人に何かを伝える時に言葉を使って表現する。
いろんな人がいて、万人に通用する表現は無いと思う。

もちろんこちらの意図を酌み取ってくれる人もいるけど、
そうでない人もいる。

理解力や想像力の違いなんだろうけど。

前者に関してはさほど心配はしない。
後者に関しては工夫が必要になる。

何かを伝えたり、表現するときはどうしても自分軸になりがちで
極端だけど、分かってもらえない事に苛立つこともある。

相手の立場で考える。
相手の話をしっかりと聴く。
相手を認める。
相手に質問する。

・・・て、出来れば苦労しねぇよ。
強い雨と風。面倒だ。
台風直撃。迷惑だ。

邪魔なものも一緒に吹き飛ばしてくれ。
くだらないことも一緒に洗い流してくれ。

そしたら、台風一過のようにきれいな青空拝めるかもね。
そんなに都合良くはいくわけないよね。。。
頑張れば出来ること。
頑張っても無理なこと。

無理でも挑みたいならそれがいい。
無理だと割り切るならそれでもいい。

自分で選び、そして「楽しむ」こと。
そして、「継続は力なり」。

シンプルに。そう、シンプルに。
不用意に誰かを傷付けたり、傷付けられたりする。
誰しも完璧ではないのだから仕方のないこと。

不快な気持ちをさせられても、傷付けられても
結局その人と一緒にいたりする。それは

「その人を許そうとするから」
「その人を許せるから」

逆に俺がわがままを言ったり、勝手な行動をしても
その人達はそばにいてくれる。俺は

「許してもらっている」

相手を許すこと。
付き合うカタチにかかわらず、とても重要なんだ。

「大切な人を、許せますか?」