詳しい背景などは省略するが、
両親にカミングアウトをしている。
もちろん理解は得られていない。
厳密には、
理解はできないけれど、
そう言った人生の選択をした自分に対し納得しようと努力してくれている。
そんな状況の中
あの開会式だった。
俺はリアルタイムでは見れなかったので、
後になって切抜き等で見たのだが、
プライドイベントでもなかなか
あそこまでの演出は出来ないのではないかと思う。
まぁ1分で動画は閉じたけども。
先日両親に電話をする機会があったときに聞いてみた。
流石にやりすぎだと。
他人だったら「そんな人もいるのねぇ」
で終わるが、
ゲイが近親者にいるとなると見方も変わってくる。
とのこと。
そりゃそうだろうな。
ゲイである自分だって見てて気持ち悪かったし。
「もしかして実はああいう感じなの?」
「お友達はあんな感じじゃないんでしょうね?」
と聞かれた。
※両親は”彼”のことを”仲の良いお友達”
として理解するので精一杯なのだ。
即答で「んなわけないじゃん」と伝えた。
あの開会式に出てきた人のような
ある種のアイコン的なものを否定しているわけではない。
が、「ゲイ」と言う括りにおいて
皆が皆そうであるわけではない。ことと、
ある種独立した一つの別の文化であると伝えたかった。
あのようなPRをしている限り
一般の、普通に生きてきた人にとっては
あれがイメージの全てになってしまうのだろうな。
社会的な理解や関心は大きく後退したように感じた。