行って来ましたよー。公開時に行こうと思ったら郊外のバルト11のレイトショーしか無くて、しかも終わるのが24時頃で、市内ならともかくちょっとなーって感じで、市内にあるサロンシネマの人捕まえて「レイトで良いんでやって下さいよ!!」としつこく言った所、八丁座でやるとの情報。これで「行けませんでしたーテヘペロ ((^┰^))ゞ」じゃ済まされないのでちゃんと予約して行って参りました!
皆様の感想色々聞いておりますと、「こんなのサスペリアじゃない!」と怒ってる人、「なんか凄いものを観た」と感心してる人、「好き!」と絶賛の人、様々。私が観た所「どれも正解」な映画でした。
難解とも言われてましたが、要素をぶっ込みすぎて少々ややこしくなってるだけで難解では無いと思う。映像も美しいし、音楽も良いし、クオリティは非常に高いです。物凄くちゃんとした映画でいい加減な所がありません。ただ「これはサスペリアか!?」と言うとアルジェント版とは全く別の映画でした。アルジェント版を一度解体し、要素を抽出して、それについてよくお勉強して深く掘り下げて再構築した感じ。だから「リメイク」では無くて「リブート」なわけか、成る程。
要素の一つ「魔女」。
これは一番重要ですわな。で、グァダニーノ版は「そもそも魔女とは何ぞや?」と言う所から入ってる。それを70年代のフェミニズムの第2波と絡めてるんですね。自立した女性=現代の魔女と言う男性中心社会歪みみたいなもの、こう言った社会的な面を大幅に取り入れてるので、そこでもうファンタジー色の強かったアルジェント版とは似て非なる作品になるのは当然とも言えそう。
よく食べよく飲みよく喋りよくタバコ吸う。
「舞踏」
これも外せない。アルジェント版は男女一緒でクラッシックバレエの学校でしたが、こちらは女性だけのモダンダンスのカンパニー、マルコス・ダンス・カンパニーです。最初に挙げた「魔女」の存在を考えての変更でしょうね。魔女って大体土着の存在で、だからそれぞれの土地の土着の神同様キリスト教から迫害されたんですから、そのダンスも所謂太古の例えば雨乞いだとか何かの祈願だとか祈祷だとかから来るモダンダンス的なものになるであろうと言う考えでしょうかね。ドイツだと20世紀初頭にマリー・ヴィグマンと言う人がいて、そのものズバリ「魔女の踊り(Hexentanz)」を演じています。その後がクルト・ヨース、そしてピナ・バウシュの系統ですかね。マリー・ヴィグマン辺りのモダンダンスが日本の暗黒舞踏のルーツです。クラッシックバレエの様に美しいダンスではありません。この映画のティルダ・スウィントン演ずるカリスマ的振付師マダム・ブランはピナ・バウシュがモデルかな?
そして「70年代東西ドイツ、ベルリン」
ここが一番社会的な色の濃い所ですかね。この舞踏団の建物はベルリンの壁にすぐそばにあるんですよ。これが度々映像に映り込むのもありますが、最後、エンドクレジットの後に一つ謎な映像が入り、そこで(恐らく)このベルリンの壁が重要になります。そしてアルジェント版には全く無かった心理療法士クレンペラーの物語、この彼のストーリーがグァダニーノ版のもう一つの柱とも言っていいと思います。そして彼の大戦中に生き別れになった妻アンケの役でアルジェント版の主役ジェシカ・ハーパーが出演しているんですよね。
で、このクレンペラーとマルコス・ダンス・カンパニーを繋ぐのが、ダンサーのパトリシア。彼女は心を病んでクレンペラーに助けを求め「カンパニーは魔女の巣窟」と訴えますが、クレンペラーはそれを重度の妄想であると診断します。その矢先にパトリシアは失踪。カンパニーでは「パトリシアは別の道を選んでカンパニーを去った」事になっています、つまりバーダー・マインホフ(ドイツ赤軍)に共感してその活動に参加することを選んだと。その後、カンパニーの公演でリードダンサーを務めるオルガもカンパニーを糾弾直後行方不明になりますが、彼女はとんでもない事になっていました。これが痛そうなんだよなあああ
そして、カンパニーの秘密を知ってしまったスージーの親友サラも……
カンパニー内では「マルコス派」と「ブラン派」がいて、マルコス派が数で上回っているので、現在はマルコスがカンパニーのトップにいます。しかし、マルコスはこの状態。アルジェント版では火事で全身火傷を負っている事になっていますが、こっちでは何らかの説明って無かった様な?
このマルコスの器として選ばれたのがスージーだったんですが、ここでビックリ仰天の逆転劇があります。ここいら辺りは魔女の内輪揉めですな。スージーに「嘆きの母」(マザー・サスピリオルム)でないことを指摘されうろたえるマルコス。しかし、何で裸サングラスなんだろう?ついでにスージーが呼び出したのはあれは何だったのかな?この2つは疑問ですね。これ↓
つまりスージー・バニヨンはヘレナ・マルコスを上回る程の魔女だった、と言う事ですかね。これはアルジェント版でもそう言う事だったのかなあ?アルジェント版は何にしろ色々と謎のまま終わってる映画なので断言はできませんが、もしそうだとするとあれだけ凄い魔女だと言われたヘレナ・マルコスがたかがアメリカから来た小娘に簡単に殺られちゃった理由にはなりますわな。で、このシーンは多分、これ。
だからラストにはスージーがちゃんとオチをつけるんですな、マルコスの犠牲になった女の子たち、死を望む者には死を、そして苦しむ者には忘却を。
しかし、劇場でもこの最後のエンドクレジットの後に出る映像を見ないで帰っちゃった人が10数人いらしたんですわ、勿体無い。これ、後ろに街頭が見えるって事は、位置的にベルリンの壁に触れているって事?
それと今回はスージーの一家がキリスト教メノナイト派であると言う設定があるんですが、メノナイト派はキリスト教派の一つで、質素倹約をモットーとした厳格な宗派。現在でも一定のメノナイトは「技術を使わない生活」を送っているそうです。つまり自動車、パソコン、電話、カメラはもちろん、電気も一切使わない生活。これを更に厳格にしたのがアーミッシュです。時々、フラッシュバックされる映像内でスージーはこのメノナイトの生活に馴染めなかったであろう事が読み取れます。スージーはそこから反キリスト的な魔女に傾いたのかも知れません。
因みにインテリアなどに対するこだわりはアルジェント版ほどある様には見えませんが、マルコス舞踊団の本拠地であるこの建物、実はイタリアの山間部の廃ホテルだそうで、いや、これよく見つけたなと思うんですが、イタリアと言うよりもドイツのモダニズム建築みたいです、いやホントにドイツっぽい。
これはおまけ。
†††ルカ・グァダニーノ監督作品
スージー・バニヨン:ダコタ・ジョンソン
マダム・ブラン:ティルダ・スウィントン
パトリシア・ヒングル:クロエ・グレース・モレッツ
サラ:ミア・ゴス
ジョセフ・クレンペラー:ルッツ・エバースドルフ(ティルダ・スウィントン)
アンケ・クレンペラー:ジェシカ・ハーパー
オルガ:エレナ・フォキナ
ミス・タナー:アンゲラ・ヴィンクラー
ミス・ヴェンデガスト:イングリット・カーフェン
†††2018年 イタリア・アメリカ
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