昨日、フィギュアスケートJAPAN OPENがありまして、浅田真央ちゃんが華麗に復活!と美しく行きたいところですが、それは皆さん書いてらっしゃるので、ハロウィン月間ですし、ゾンビです。
まあ、私個人的にはさほどゾンビには愛情無いんですが、今やホラーには欠かせないキャラですよね、「WALKING DEAD」は面白いですけど。
80年代のスプラッター以降ホラーのメインキャストに躍り出た感じですが、意外に古くからありまして、多分一番最初は「ホワイトゾンビ」邦題「恐怖城」)ですかね、1932年の映画で主演はベラ・ルゴシさんです。この時はまだ今多い感染系ではなくてヴードゥー教のゾンビパウダーで仮死状態になってって基本的なやつで、率先して人を襲ったりはしないので、ちょっと今のとは感じが違いますね。
ゾンビ映画もね、もう散々作られてますから、スプラッターは行く所まで行って後期半ばギャグ化してましたし、そっち方面は歯止めかかったみたいですね。
これも思ったよりかはまともな映画でした。
しかし知恵のついたゾンビってーのはどうなんでしょうねえ? ?あんまりゾンビっぽくない様な…脳みそ腐ってたら使い物にならないじゃん…全速力で走るゾンビもどうなの?と思いました が、だって腐ってんのよ、あの人たち腐ってんだから全速力で走ったらバラバラになりそうよー!!
別にそれはそれでもいいんだけどね。
いっぺん死んでるんだし、腐ってんだから(新鮮なの意外)そこんとこよろしくです。
今思うと、ちょっとこの頃行き詰まってたのかなと言う感じがしないでもない、武器持って戦ったりもしてましたから、でもそれってやっぱり何か違うと思うの。
2002年の「28日後」はなかなかの傑作でしたが。
この映画の特徴と言えば、ゾンビにキャラクターがある事ですかね。
人間が割と印象薄くて、残ってると言えば街を牛耳ってるカウフマンが悪いヤツだった(と言っても「ナイト・オブ・ザ・リビングデッド」のクーパー程ではない)と、ゾンビグラディエーターでゾンビをぶちのめすアーシア・アルジェントくらいのもので、それに比べるとゾンビ側の個性の豊かさと来たら他に例がありません。「バタリアン」のタールマン(あれはゾンビなの?)とかオバンバくらいですかね。包丁を振り回すブッチャー(元肉屋、肉屋はやっぱりブッチャーなのね)バットを手放さない野球少女のナンバーナイン、ゾンビ指揮官(?)のビッグダディ……
完全に物語の主軸は、人間からゾンビに移行しています。
しかし、この路線はやっぱり違うとなったのか、これ以降多分ほとんど作られてないんじゃないかなあ?「WALKING DEAD」が何で面白いかって、いくらゾンビが出て来てもあくまでもゾンビを通した人間ドラマになってるからだと思うんですよね、ゴアやグロが見せたい訳じゃないんですよ。
ふと、思ったんですが、ゾンビってアレはやっぱり、死んだ人 も生き返ってって「最後の審判」的な発想なのか、異教であるヴードゥーがどうのって言うものなのか、人を食うのがショッキングなのか、それ全部なのか、どーなんでしょう、私は冒頭に書きました様にさほど愛情が無いので詳しくは無いんですよね。
フェリーニの「サテリコン」てのは、そーいうキリスト教的倫理観以前の世界の話で 人の肉食っても男同士でも罪の意識って無いんですな、だからあれはあれで今の世界ではショッキングなんでしょうね。
因みにうちの母親は「サテリコン」と「道」が同じ監督だと言 うと「信じられん」と言っておりましたw
先日もホラー好きのメキシコ人の友人に「日本にはゾンビはいないの?」と聞かれまして「日本は火葬だから基本的にゾンビはいないよ。」と答えたのですが、普通に言う「良い事をすれば天国へ行けて、悪い事をすれば地獄に堕ちる」は主にカトリックの教えで、プロテスタントにおいてはどちらかと言うと「最後の審判」までそれはお預け、なスタンスみたいで、これがゾンビの元になった様ですね。つまり、最後の審判までどっちに行けるかわからないんで、腐ってようがどうだろうが叩き起こされて審判が下って、天国へ行ける人は良いけど、そうでない人はそのまま地上を彷徨うしかないので、これがゾンビです。
宗教に関しては、色々細かく違いがあるので、はっきり「こう!」とは言い難いんですが、概ねこんな感じでは無いでしょうか。
†††ジョージ・A・ロメロ監督作品
ライリー:サイモン・ベイカー
カウフマン:デニス・ホッパー
スラック:アーシア・アルジェント
チャーリー:ロバート・ジョイ
チョロ:ジョン・レグイザモ
†††2005年 アメリカ
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