金融機関として審査すると、原発は不良債権 | いわき市民のブログ I am An Iwaki Citizen.

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ベルトルト・ビレヒト: ガリレイの生涯、第13幕

城南信金さん、「金融機関として審査すると、原発は不良債権」ってホントですか?
http://blogos.com/article/65123/?axis=&p=1

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企業とか金融機関というものは、いろんなお話をきいて、審査して、「これはただしい」と思える活動に資金を出して応援する。それがあたりまえなんです。だけど原発というものは、どう考えても理屈にあわないんですよ。それをみすごすというのは金融マンとして許せませんね。

もんじゅ:もし原発が金融機関の審査を受けたら確実に落ちる、ということですよね。

吉原:たとえば企業に融資をするかどうかを決めるときに、「じつはうちの会社はこういう活動をしていて、最終的にはこうやって利益を上げて返済する計画なんです」というお話をされることがあります。わたしたちはその説明をきいて「じゃあ、ぜひ応援したい」ということでお金を貸すわけですよ。

 それが原発の場合は、どう考えても理屈にあわないようなことをやって、「じゃあ将来、使用済み核燃料はどうするんですか?」とたずねると「いや、それはわかりません」といって黙りこんでいる。こういう態度をみると許せないわけです。

もんじゅ:ふつうに考えたらおかしいですよね。「詰んでいる」のに、続けようとする。

金融とは、「現在と将来の交換」である

吉原:そうですよ。将来かならず不良債権になって返ってくるのがわかっているのに、マスコミ、政府、学者といった方々が見逃して、なんにもいわない。おかしいじゃないか、と。

 わたしども金融というのは、「現在と将来の交換」という仕事をしております。現在お金がないかたにお金を貸して、将来お金を返してもらう。つまり、健全な未来をつくっていこうというのが金融の仕事なんです。だから、健全な未来をつくっていない人たちをみると金融マンの生理として許せませんね。

もんじゅ:なるほど。お金をどこにまわすかを審査して判断することで、よりより社会をつくっていく、と。なんとなく金融ときくと、ちょっとズルいというか、右から左へ、みたいなイメージもあると思うんです。でも判断基準さえしっかりしていれば、すごく社会貢献度の高いお仕事なわけですね。

吉原:お金というものに頭をやられてしまうと、人間は目先のことしか考えなくなってしまいます。でも、金融マンがお金に頭をやられてしまうと仕事にならないんですよ。だから将来をきちんと見通してやっていかないといけないという自負もあります。そういったことから考えて、おかしいことには「おかしい」とはっきりいうことも必要なんですよ。

もんじゅ:有名な「貸すも親切、貸さぬも親切」というのは、そういうことですね。

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電力会社のバランスシートが、会計上おかしい理由

もんじゅ:さきほどのお話にもあったんですが、「お金の貸し付けを審査する」という金融機関の立場からは、事故を起こした東電さんはじめ、原発をかかえている電力会社はどうみえるんでしょう? 原発は、お金の面でみてもやっぱりおかしいんですか。

吉原:明らかにそうですよ。「ただしくないこと」っていうのは、お金の流れというかたちでみていっても、最終的におかしなところが出てきてしまうんです。でもそれが現状では通ってしまっている。それは会計制度が歪みなんですよね。

 電力会社のバランスシート(貸借対照表)なんですが、きちんと計算してみればわかるんですよ。たとえば東京電力は、原発事故を起こしてしまったことで巨額の費用がかかりますよね。

もんじゅ:そうですね。事故処理費用も補償費用もけっきょくは一企業ではまかなえなくって、国からすでに何兆円もの公的資金がつぎこまれています。

吉原:じゃあ、原発事故というのはリスクとしてカウントされるはずですよね。会計的にいうとこれは保険の費用になるので、保険料にカウントされちゃうわけです。でも、あんなに影響範囲のおおきな事故をカバーできる保険屋さんはどこにもないんですよ。

もんじゅ:保険屋さんも、「ひきうけたくない」って話になりますよね。

吉原:そう、世界最大の保険協同組合であるドイツのロイズ保険組合でさえもひきうけられないって明言しているんですよ。とくに日本は世界でもっとも地震が集中している国じゃないですか。ほかの国の原発だってやっとこさなのに、日本の原発なんてカバーできません。しかも、福島第一原発事故の損害賠償っていうのはじっさいには無限大ですよね。

もんじゅ:そうですね。被害者のかたにはちゃんとした補償金は支払われてはいませんが、被害額は無限大です。立ち入ることのできない土地が生まれてしまったわけですから。

吉原:無限大の事故を想定してカバーできる保険なんてありえない。そうすると、保険料をきちんとかけた場合に採算があわないんです。いってみれば、原発はブレーキをはずした車のようなものですよ。保険というブレーキをかけずないまま運転していて、暴走しちゃったんです。これは経済観点からみておかしいんです。会計上、採算があわないのは明らかなんですよね。

将来の負債である使用済み核燃料が、資産として計上されてしまっている

吉原:おなじように考えると、使用済み核燃料の扱いもおかしいですよね。

もんじゅ:いまはどの電力会社も、どうも使用済み核燃料を資産として計上しているみたいです。

吉原:そうなんです。でも本来ならば、使用済み核燃料には巨額の処理費用がかかるわけでしょう。いまはプラスとマイナスがまったくの逆になっちゃってるんですよ。あんなもの資産じゃなくて、将来に残るたいへんな負債ですよ。

もんじゅ:金融機関からみれば、「将来、どうやって負債(使用済み核燃料)を支払うつもりなのかがわからない」という判断になるんでしょうか。

吉原:はい。あれはおそらく、核燃料を買ったときの値段で計上しちゃっているじゃないですか。そういうのを「取得価格計上」っていうんですけど、いまの会計の主流なやりかただと、「将来発生するキャッシュフローをいまの時点で評価するとどうなるか(ディスカウントキャッシュフロー)」で計上すべきなんですよ。

 そうすると電力会社がためこんでいる使用済み核燃料というのは、無限のコストを発生させる巨額の負債なんです。ところがその負債を資産だといいはっている。じっさいには大穴を開けちゃってるんですよね。そういったことも会計的にいえば、おおまちがいですよ。

もんじゅ:会計的に破綻しているものなのに、原発がないと電気代が高くなるとか、経済がたちゆかないなんていうのは、やっぱりヘンですよね。

吉原:それから廃炉費用だって、引当金などで一部しか計上していない。これもおかしな話なんです。発電量に応じて廃炉費用を計上するしくみなので、いまは発電が停まっていてずっと引当計上していません。しかし、発電していようがいまいが廃炉費用はかならず発生するんですよ。だから、これは不適正計上なんです。

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原発は日本がひかされた貧乏クジ?

吉原:なぜ、東芝や日立といった日本の企業が原発に特化していて、アメリカが撤退したのか。おかしいと思いませんか? かんたんにいえば、クズを買わされたんじゃないですかね。アメリカは原発の将来性をみかぎったんです。アル・ゴア元アメリカ副大統領が、映画『不都合な真実』のなかで「原発を稼働させないと化石燃料を使うことになるから、地球は温暖化しますよ」とウソの情報を流したでしょう。ああやって原発を活性化するきっかけにしたんですが。

もんじゅ:つくられた「原子力ルネサンス」ですね。

吉原:あの時点で「原発は化石燃料に負ける」という現実をきちんとみていたわけですよ。シェールガスなんかも当時から伸びていたんです。原発の将来性がないと思って、『不都合な真実』でバックアップしようと思ったけれど、それだけじゃダメだった。だからさいごには、東芝に原発を売ったんじゃないですかね。つまり、損切りです。そしたら日本の企業が買ってしまった。

 原発ってODA(政府開発援助:途上国の発展や福祉向上のための資金・技術提供のこと)や世界銀行融資の対象になっていないんですよ。つまり、原発のような危険なものにたいしては責任がとれないから、ODAはお金を貸さない。世界の金融機関は、原発に「将来性がない」という評価をくだしているんです。(そういう原発という産業を、アメリカは)日本に売って、日本の借款でほかの国に売らせようとしたんじゃないですか。いってみればあぶなっかしい産業を日本におしつけて、「お金のめんどうもみなさいね」という話になった。わたしはそういうふうに考えています。

もんじゅ:原発がODAの対象外だというのは、初耳でした。日本はそういうものをだいじにかかえこんでいる、と。

吉原:わたしはいま、政府や原子力ムラを批判していますけど、もっとおおきな流れもあるんじゃないかって思いません? 日本はハメられているんじゃないかって……。原子力ムラのさらにまた上がいるんじゃないかと思いますね。フランスのアレバにしたって、アメリカ政府にしたって、なんで日本にたいしてこういうふうにしてくるの?って考えてしまう。世界は闇がふかいので、こんな話をしていると、そろそろトマホークが飛んでくるかもしれません(笑)

もんじゅ:どうでしょうか(笑)。  ただ、原発事故以降の政府の対応をみていると、いろいろと計算してああいう行動になったというよりは、たんに後手後手でああなっているだけじゃないかという気がします。 「原発をやめたい」と薄々かんがえている人達は、電力会社にも経産省にもそれぞれいるんだけど、だれが責任とって決断するのか、それができないだけなんじゃないかって。

原発をやめられないいまの日本は、太平洋戦争末期とどこか似ている

吉原:『失敗の本質』という本のあたらしいバージョンが最近でて、また売れはじめているそうなんです。これは旧日本軍が太平洋戦争で、陸軍と海軍のいがみあいのなかで「できません」という一言がいえなくて、勝てるはずのない無謀な戦いに突入していった、ということを描いているんです。つまり、じぶんたちの省益のために国益をうしなったという話です。

もんじゅ:太平洋戦争の末期は、陸軍も海軍も外務省も「もうダメだ」とそれぞれ情報をもっていたのに、それを出さないで、ずっとつづけてしまったんだ、といわれていますよね。

吉原:戦争では軍の上層部が中心となって迷走状態がつづきました。なかには立派な人もいたけれど、ほとんどの人は官僚主義。つまりサラリーマンだから、現場の人命もかんがえずに、戦死者よりも飢え死にがおおいとか、とんでもない作戦をつぎからつぎへと乱発したんです。
 これでは敵じゃなくて味方に殺されたようなものですよ。ほんとうなら、国をまもるという英雄的な行為として戦争に参加しているはずなんだけど、指導者たちがあまりにもサラリーマン気質で、ピンチのときに自分たちの保身を図って現場の人命を失ったという現実がある。だから「現場はがんばったけれど、これ以上はできません」という話になって、戦争はこりごりになっちゃったんです。その気持ちはすごくわかりますよね。
 いまはそれとおなじことが起きているわけです。決断ができないのは偽エリートですよ。日本はエリートがいないんです。明治時代の初期には武士道といった倫理観があったと思うんですが、昭和にはいってから完全にサラリーマン化したんですね。

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