物事がうまくいかない時

人はつい物語をつけてしまう


「これがどん底だ、あとは上がるだけ」

 と都合よく脚本を書く人


「いやいや、これからが本当の地獄だ」

 とスリラー仕立てにする人


「良い悪いをつけても仕方ない

     ただ現実を受け止めるだけ」

 とドキュメンタリー風に片づける人

 

どれもそれなりに

筋は通っているのだろう


希望は救いになり

悲観は備えになる

現実派は無風でいられる


ただ、人間の妙な癖は

「実は今も十分幸せ」

 と思いながら

 

あえて「いや、まだ足りない」と

不幸モードに切り替えるところにある


不足を感じていた方が

ストイックでカッコよく見えるし

耐えている自分に酔えるからか?

 

たとえば

スマホの電波が1本減っただけで

「人生の試練」と重く受け止めたり


電車が数分遅れただけで

「やっぱり今日はツイてない」

 と悲劇の主人公を演じたり


冷静に見れば笑い話だが

本人は

忍耐の稽古をしているつもりだったりする

 

確かに忍耐は心身を鍛える

けれど

やりすぎれば

ただ心が折れるだけでもある


だったら

忍耐そのものを

「楽しみ」に変えてしまった方が

まだ健全かもしれない


渋滞に巻き込まれたら

「もう少し長くカラオケ気分を味わえる」

と考えたり


雨に降られたら

「今日は空がサービスしてくれた」

と笑ってみたり


そういう遊び心を差し込めば

不幸モードも娯楽に早変わりする

 

結局のところ

「常に今が幸せだ」

というマインドは

こういう小さな発想転換から始まるのだろう


最悪を覚悟しつつ

小さな楽しみを拾い

ほどほどに構える


そのバランスをとっているうちに

気づけば「案外ずっと幸せだった」

 と思えるのかもしれない。