アメリカ大リーグ野球のアメリカンリーグに属するボストン・レッドソックスのフランチャイズ球場はマサチューセッツ州のボストンにあるフェンウェイパークだ。この球場では8回裏の攻撃の前にある曲が流されるのがお決まりで、これに合わせて球場の観客が皆で歌います。その歌がニール・ダイアモンドの『スウィート・キャロライン』だ。
この歌は、1969年にリリースされ世界で大ヒットとなったが、ニール・ダイアモンドがジョン・F・ケネディの娘のキャロライン・ケネディを歌った曲だとされている。『ライフ』誌の表紙になった、少女時代のキャロラインが両親と馬に乗っている写真を見て、その写真からインスピレーションして曲を作ったとインタビューで述べていた。キャロラインはとても愛くるしくてアメリカの人気者だった。ニール・ダイアモンドが思わず曲を作り上げてしまうのもうなずける。その後キャロラインは2013年から2017年まで駐日大使に着任して、日本でもお馴染みになりましたよね。
しかし、数ある彼女のケネディ家の悲劇は、呪われた家系ケネディと噂されるほど悲劇が続いた。
1957年11月27日にニューヨークでキャロラインは生まれた。
1960年、父ジョン・F・ケネディはアメリカ大統領に就任したが、3年後、ダラスで暗殺された。キャロラインの兄、長男ジョン・F・ケネディ・Jr. は1999年に飛行機事故で39才で命を落とした。姉のアラベラは1956年に出産時に死亡、弟のパトリックは1963年に生後2日目に死亡している。
父親ジョン・F・ケネディの弟、キャロラインのおじさんにあたるロバート・ケネディは1965年にニューヨーク州の連邦上院議員になったが、1968年に彼もまた兄と同じように暗殺されてしまう。
しかし、彼女はそんな悲しい境遇にも負けず、笑顔を絶やさず、アメリカを愛し続け、アメリカもそんな健気な彼女を愛して、駐日大使の役を任せたわけだ。
そんな健気なキャロラインを歌った『スウィート・キャロライン』はオイラも大好きな歌だ。
カラオケでもよく歌うぜ。そんな時、ふと彼女の笑顔が浮かんでアメリカを感じてしまう。
この曲はビルボードの全米シングルヒットチャートで4位を記録してプラチナレコードとなった。なんだかポールがジュリアン・レノンに作った『ヘイ・ジュード』と重なってしまう。
いつまでも、フェン・ウェイパークでスウィート・キャロラインが歌い継がれるといいなぁ。
いつまでも元気で‥キャロライン!