先日、セカンド・ショップに行ったら、『ヨコハマBJブルース』(1981年・工藤栄一監督)って言うカッコいい映画が、使用済みレンタルVHSビデオで200円で売られていた。懐かしかったぜ。もちろん、即買いだ。
しかし、今どきVHSなんて買う人もいないだろうが、こんないい映画が200円は寂しかったぜ。

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この映画は、松田優作が主演から主題歌、挿入歌まで歌っちまってる、自由奔放なイカす映画だ。
80年代初めの横浜の街を舞台に内田裕也、財津一郎、辺見マリ、蟹江敬三なんていった個性ある面々が脇を固めて、しかも映画音楽は当時、日本から世界に飛び出した和製ブルースバンド、『クリエイション』が担当してハードボイルドな世界を創り出している異色のメンバーによる異色な作品となった。
松田優作は1973年に『狼の紋章』に映画初出演して以来70年代に最も危険な遊戯、殺人遊戯、俺達に墓はない、蘇える金狼、処刑遊戯などのヒット作に主演しているが、この映画では今まで孤高のヒーロー路線からチョイト脇にそれ、彼の渋いノドを聞かせながらのエンターテイメント作品に仕上がっている。
この映画音楽担当の『クリエイション』は天才ギタリスト「竹田和夫」が69年に作ったブルースバンドだ。
当時「はっぴいえんど」が日本語ロック代表で和製ロックの流れを作っていた時に、クリエイションは英語でブルースに取り組んで70年前半海外に活動場所を移し、果敢に本場のブルースに挑んだんだぜ。
こりゃ歴史の浅い当時の未熟な日本のバンドからしてみりゃ、海外で活動するなんてのは画期的なことだったんだ。
そのころの竹田和夫のギターなんてのは、まるでエリック・クラプトンのようだった。
「スピニング・トゥ・ホールド」や「ロンリー・ハート」なんて曲が流行ったかな。
あ、それに77年には世界のテツこと、“山内テツ”もこのバンドに参加していたんだぜ。
“山内テツ”は世界ロック史上に名の残るバンド「フリー」と「フェイセズ」で活躍した伝説の日本人ベーシストなんだぜ。
いやはや、そんな懐かしい思いが封印解けたかのように甦えってきたこの映画。
『ブラック・レイン』を最後に死んじまったオイラの優作兄ィ。
若いころ、
「あんたも優作くらいカッコよかったらねぇ」と言われながら、
優作ファンの彼女と映画館に通っては見た優作兄ィの勇姿は、今も心の中で元気に生きている。
しかし、あのころの横浜は哀愁に満ちていたなあ。
東京の仕事場からずいぶん遠くなるのに、横浜を味わいたくて、
わざわざ東京から引っ越した横浜石川町。
今でもあのころのハマの香りが、事あるごとに蘇ってきます。
オイラの好きな、優作、横浜、ブルースの三拍子が揃ったこの映画。
まあ、映画の内容自体は“いまいち”ってとこだが、久しぶりになつかしい空気を存分に味あわせてくれた大いなる200円でありました。




 
 
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