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俺は筋金入りのメガネフェチだ。
小学生のある日、友達のA君がクラスで初めてメガネをかけてきた時のショック!
『かっこいい!』
それ以来、テレビを真近で見て目を悪くしてメガネをかけようと努力したが、悪くなるどころか、頭ばかりが悪くなり、肝心の目は1.5から少しも下がることはなく、じつに歯がゆい思いをしたもんだ。大体、あのころはオイラの田舎ではクラスでメガネをかけてる奴なんて、ほんとに少なかった。クラスで一人いるかいないかだった。メガネなんてのは、じいさんがべっ甲の丸いめがねをかけてるのが定番の時代だもんなあ。中学に入ってメガネ少女・少年がチョイト増えた。だが、今ほどおしゃれなメガネはなく、男子はほとんど黒縁、女子は赤縁のどれも同じようなメガネだった。高校に入ると急にメガネ野郎が増えた。チョイト、カッコの違うメガネが出始めてきた。それでもそういうメガネはまだまだ種類が希少で高額だった。そのころもオイラは目が悪くならないのでサングラス路線へと走った。安いサングラスを買いまくった。フーテン、フォーク、ロック、バイクのお兄さん達のおかげでサングラスは安いのがたくさん出てきた。しかし当時はまだ、サングラスってのは、怖いお兄さんがかけるもの、って雰囲気があって、社会的にファッションとしての認識はされてなかった。だから、町で普段サングラスをかけてる人はほとんど見ず、かけている人がいるとたいがい、強面のおっさんか、ヤンキーの兄貴たちだった。それでもそんなチョイ悪もかっこよく思えるサングラスだった。ちなみに当時の若者はサングラスはグラサンと呼びました。オイラはバイクに乗るのでジェット・ヘルにはグラサンは必須だった。だが、そんな実用性より、カッコ良さで買いまくった。月、一つは小遣いから買っていたから、引き出しの中はグラサンで一杯だった。当時の憧れは特にマッカーサーのレイバン、これはアメリカの香りがプンプンする超カッコいいサングラスだった。が、今と違ってずいぶん高かった。手に入れたのは高校を卒業してからだった。
イージーライダーのピーター・フォンダ&デニス・ホッパー、ダーティー・ハリーのクリント・イーストウッド、大脱走のスティーブ・マックイン、ゴッド・ファザーのアル・パシーノ、日本ではショーケン、キャロル、宇崎竜童、高倉健、菅原文太、松田優作、原田芳雄…。
映画やTVのサングラスの男たちは渋かった。若いオイラはそんな男の渋さにしびれたのかも知れない。世間でヤーさんと呼ばれたおじさん達がまた強面にサングラスがかっこよかった。映画の仁義なき戦いシリーズを見た後は、なんだか、その世界に入った気がしてサングラスをかけて、風を切って、いきがって街を歩いたものです(笑)
 
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もう一つ、メガネと言えばジョン・レノン。
高校のころ、あの丸いメガネを手に入れて髪を伸ばしてジョンになりきっていた時代もあった。そのころは本人は、なりきってる気がしていたのだが、誰もジョンレノンを連想してくれたた人はいなかったようだ(笑)。
だが、それから20年もしてからたまたま、同じメガネを見つけ、それをかけてCDショップに行ったら若い店員のおにいさんが
『ジョン・レノンそっくりですねえ。よく言われるでしょう? まじ、そっくりですよ。 いや~、ほんと似てるわ』
と、妙に感心されたことがあった。余りの感心のしように、その時はもう、まじかい❓今になって‥などと、以外な展開に、恥ずかしげに苦笑いするしかなかったのを覚えています。その大好きなジョンはもう遠い昔に真っ先に死んじまった…。
 
今は、メガネ天国です。
レンズもフレームも激安になり、かっこいいのがたくさんそろっています。だから、自分に合った個性的なメガネが安く手に入ります。オイラにとっては何より嬉しい時代です。
さらにオイラは、幼い頃の願望であったようにチョイと目が悪くなりました。
視力0.7の近眼と乱視です。乱視なので、競馬、競輪、競艇のオッズが滲んで見にくく、夜の車の運転も多少見えずらいので、ギャンブルと車の運転時はメガネが必須です。
今は、スポーツタイプの枠のガッチリしたタイプのメガネがお気に入りで愛用しています。しかし、この年になると目は良いに越したことがないことに初めて気ずきました。
バカだね~(笑)。
オイラの部屋には何十ものメガネが出番を待っていて、その中には忘れちまったものもあるだろう。
ひとつ、ひとつ、その個性が気に入って買ったカッコいいメガネたち。
たまにはひとつずつ確かめながら磨いてやって、そのメガネの思い出にふけってみるとするか…。

 
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