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1975年その年は、くしくも三人の個性ある美女が申し合わせたかのように、それぞれにデビューを飾った。
しかしその三人は、俗に世間で言う、単なるかわいこちゃん歌手や美人歌手とはちょいと違った。
それは、その三人の自作の歌は桁外れに暗かったのである。
当時の若いアンちゃん達には、彼女らのアルバムを聞いて
「落ちこんじまったぜ」なんて野郎が結構いたもんです。
 
 
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まずは森田童子。
彼女はアルバム「グッドバイ」、シングル「さよならぼくのともだち」
でデビューして、ライブハウスを中心に活動していた。
私生活がまったく公開されず、普段も寡黙な謎めいた女性だった。
当時はオイラはまだガキで彼女はお姉さんだったが、しっかり憧れたもんだ。
カーリーヘアーにサングラスの写真の何枚かが彼女の情報だった。
西荻窪のロフトに行けば会えるという噂に出かけたものだ。
写真と同じ黒い服に、カーリーヘアーにサングラス。
細い体に大きなギター。
カッコよく、かわいくって、素敵だったなぁ。
彼女のイメージと歌の暗さがマッチして
独特の森田童子ワールドを作り上げていたっけ。
レコーディングの編曲、演奏はアコースティックギターの神様・
石川鷹彦(元六文銭)だからギターの音が素晴らしい。
1993年、テレビドラマ「高校教師」の主題歌に「ぼくたちの失敗」
が使われたので、その歌は知ってる人も結構いるんじゃないかな。
83年が実質の引退となった形だが、未だに彼女のことは謎のままだ。
今は普通の奥さんでいて、歌の世界に戻ることは無いそうだが、
オイラがカッコイイ女として若き頃あこがれた彼女は今もそのままで止まっている。
 
 
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次は山崎ハコ。
彼女はアルバム『飛・び・ま・す』で歌手デビューした。
その暗さは森田童子の都会的、カリスマ的、謎めいた暗さとは違って、田舎から出てきたばかりの娘の、希望と不安が入り混じった、
日常の生活から生まれ出ずる暗さ、
つまりは人間の根本として持つ暗さを包み隠さず歌にした。
彼女は大分の中学を卒業すると、先に仕事で出た両親が暮らす横浜に上京し、高校時代にコンテストで歌ったりしてデビューに至った。
自らをさらけ出した奥深い歌が多く、とても新人のアルバムとは思えない
堂々としたデビューだった。
ラジオからこの人の曲が流れた時は、なんだか放っておけないような
そんな気がしたもんです(笑)。
オイラもこのアルバム買ったっけな。
やっぱ、暗さが心に染みたなぁ~。
彼女は1979年から1年間「オールナイト日本」でDJをして、
同じ暗い歌路線のライバル中島みゆきのDJとよく比べられたもんだ。
どっちかというと、しゃべっているときは素朴な普通の女の子である山崎ハコ。
それが持ち前の声量と歌唱力でもって歌いだすと、彼女の歌の説得力のある暗さが驚くほど際立ってきて、聴いてる人の心を侵食したもんだ。
最近は表には出てこないけど、今も地道に頑張ってます。
 
 
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後は中島みゆき。彼女は「アザミ嬢のララバイ」でデビューして、
77年の「わかれうた」で大ブレークする。
そして今や日本を代表するシンガーソングライターだ。
1979年から8年間くらい「オールナイト日本」でDJをやっていてよく聞いた。
しゃべりだすと止まらない。そして、その歌の暗さに比べて、度を越した普段の明るさとのギャップに、
「なんであいつにあんな暗い歌が作れんだ?」
などと当時の野郎達は首をかしげていたもんだ。
当時、違う曜日に松山千春がDJをやってて、たまに一緒にやるときがあったんだが、二人のやり取りはツーカーで、しっちゃかメッチャカで、
抜群におもしろかった。
あの頃は二人は出来てるとばかり俺達は思っていたものだが…(笑)。
彼女、今でこそ、そう暗い歌ではないが70年代は歌は超暗かった。
彼女の歌の暗さに心がなえると、実生活の彼女の明るさに救われる。
彼女は中島みゆきという単なる歌手でなく、トータルで表現する人間の心の語り部なのかも知れない。
彼女の『夜会』はそのことを物語ってるようにも思える。
今になってみりゃ彼女が三人の中の出世頭となったわけだが、そのへんが彼女が今の時代にメジャーで残っている理由なんだろうか。
いつまでも、美しく、桁外れに明るい、
“中島みゆき嬢”でいてもらいたいものです♪