旧大野木場小学校の被災跡地
雲仙でのフィールドワークで見た光景。
旧深江町立大野木場小学校の被災跡地。
1991年6月3日16時8分に,大規模火砕流が発生し,熱風に襲われた島原市北上木場町では,43名の犠牲者が出る大惨事となった。
わずか400mしか離れていない大野木場小学校では,5・6年生が授業中であったという。
火砕流本体と熱風は、水無川に沿って流れたため,校舎にいた児童・教師らは無事避難することができた。
それから3ヶ月後,9月15日18時57分,平成噴火による溶岩ドームの崩壊により,最大級の火砕流が発生した。
発生した火砕流は,おしが谷を通り,水無川に沿って流れたが,火砕流に含まれていた火山ガスや巻き上がった火山灰からなる熱風はそのまま直進し,高台にあった大野木場地区に這い上がり,校舎や付近の民家を焼失させた。
児童や住民は、警戒区域のため避難しており,人的被害はなかったそう。
画像は,校舎の後ろにそびえる雲仙普賢岳。
校舎の窓ガラスが全部割れているのは熱風の反対側,ガラスが残りひびが入っているのは熱風側。


旧深江町立大野木場小学校の被災跡地。
1991年6月3日16時8分に,大規模火砕流が発生し,熱風に襲われた島原市北上木場町では,43名の犠牲者が出る大惨事となった。
わずか400mしか離れていない大野木場小学校では,5・6年生が授業中であったという。
火砕流本体と熱風は、水無川に沿って流れたため,校舎にいた児童・教師らは無事避難することができた。
それから3ヶ月後,9月15日18時57分,平成噴火による溶岩ドームの崩壊により,最大級の火砕流が発生した。
発生した火砕流は,おしが谷を通り,水無川に沿って流れたが,火砕流に含まれていた火山ガスや巻き上がった火山灰からなる熱風はそのまま直進し,高台にあった大野木場地区に這い上がり,校舎や付近の民家を焼失させた。
児童や住民は、警戒区域のため避難しており,人的被害はなかったそう。
画像は,校舎の後ろにそびえる雲仙普賢岳。
校舎の窓ガラスが全部割れているのは熱風の反対側,ガラスが残りひびが入っているのは熱風側。



























