糸の切れた凧か、タンポポの綿毛か、
はたまた、大空をながれゆく雲か、
この身は、いったいどこに向かっているのだろう。
ただふわふわと漂っているようにも感じるし
と、ここまで書いたところで
亡き人がよく言っていたことが鮮明によみがえる
「暗い夜の海に船をこぎ出して、でも向かうところがわからない。わからない、何もわからない・・・」
と苦し気な様子で、傍らのわたしはなすすべなくただじっと聞いているだけだった。
ある中国のアーティストが言っている。
「帰属意識は人のアイデンティティの中心であり、
それがあるから、人は精神的な逃げ場を見つけられる。
どこかに属しているという感覚がなければ、言語も失われ、精神が落ち着かず、物事に確信が得られず、同じくらい不安定な世界に直面することになる。」
そうなんだ、あのときの亡き人も今のわたしも、
どこにも所属してないことに思い当たる。
子供時代は両親=家庭が安心の場所であり、
成長していくに従って、学校、勤務先、地域、サークルなどと所属先が徐々にふえてその場その場での役割を当たり前にこなしてきたように思うのだが。
今はそんな役割があるわけでなく、落ち着ける場、安心の場、ましては楽しい場、心躍る場などはるか彼方の夢物語か。
そしてまた気付くのです。
”場”とは、人がいる場所ということに。