私の「いらっしゃいませー 人生」  #恥ずかしかった言いまちがい |  ちゃぶろぐ ~時計台のある街から~

 ちゃぶろぐ ~時計台のある街から~

♡札幌のかたすみでの愛犬とのゆるい暮らし♡のんびり更新中♡いきなりのフォロー・アメンバー申請はご勘弁のほどを♡                                 

                      

 

 

 

 

 

 

あぁ…

そういえば私はこれしか仕事をしたことがないんだっけ

…と思いだした話

 

 

 

 

 

昔々…

道産子家族の娘の話。

 

 

 

高2の途中に親が埼玉に転勤になり

私だけが札幌に残り

高校を卒業後に親の所に戻ることになったところから始まる

 

 

 

     

 

 

 

初めは一面の玉ねぎ畑が広がる丘珠の叔祖母(祖母の妹)の家に

次に上野幌の叔母の家に卒業までお世話になった

 

 

 

余談だけど

家から徒歩で通学してた時もそうだったけど

公共機関を利用する様になったら ますます

セーラー服って痴漢に遭いやすいって驚いた

 

 

 

すれ違いざまに襟元のVに手を突っ込まれ揉まれるのはいつものこと

上着の下から手を入れる

スカートのファスナーを外そうとするetcetc

 

 

 

まだ高卒から就職と進学への割合が半々だった頃

札幌で就職する訳じゃないので宙ぶらりんのまま卒業し

手荷物ひとつで埼玉に帰った

(というかお邪魔しますって感じだったけど)

 

 

 

親の知り合いに紹介された就職先が販売員(⁈)

当時私は『販売員』の意味も深く考えず 

断る訳にもいかずで

池袋のビルで面接してそのまま採用になった

(いわゆる縁故関係ってやつw)

 

 

 

接客とか超苦手だし人見知りなのに

「いらっしゃいませー」

何とかなるだろうとボーッとしたまま働き出したw

 

 

 

 

 

 

配属は池袋の西武百貨店の中の店舗のA洋服屋さん

西武系列の子会社だったので新人教育は西武の人たちと一緒で

お辞儀の仕方とか背中に定規をあてられて

何度も何度も繰り返し!

…の厳しい指導に

 

 

 

わー すごー 

ドラマみたいーと思ったw

 

 

 

とにかくポッと出の田舎娘には眩しすぎて必死(笑)

朝のバスから京浜東北線の車両の中で宙に浮き(パない乗車率)

チカンと戦い(両手安全ピン装備)

山の手線に乗り換えやっと到着(片道一時間半)

 

 

 

広すぎる池袋西武で何度も迷子になった

(長さ500mくらい?)

しかも最終バスが早かったので速攻帰宅の日々の暮らし

 

 

 

当時はドラマの服を提供していたので芸能人もちらほら…

平気で汚れた衣装を返す当時のスタイリストは

雑な印象しかなかった

 

 

 

 

 

 

数年後に新宿三井ビルの支店に移動になった

扱う服の半分がドレスだった(コンクール、ブライド用)

初めはドレスのお直しとかでピンを刺す手が震えたっけ

 

 

 

この夜景をバックにTV中継の歌番組があった時は

仕事帰りの時間と重なり楽しんで見てた

素敵な先輩たちに囲まれて旅行も遊びも一緒に連れてってもらった

 

 

 

私は夜のビルの窓灯りが好きで

「まだこんなに頑張ってる人がいる」自分も!という気持ちになった

昔流行った『新宿の母』がここで占ってて売れ初めの頃w

 

 

 

自宅通勤が厳しくなり先輩の住む西武線の椎名町の会社の寮に引っ越した

そこでGの襲撃に遭いトラウマに(怖

 

 

 

池袋の時から同郷で目にかけてくれていて 

方言を注意されたり相談に乗ってくれたりしてた部長がいた

 

 

 

…で

ある時いきなり札幌のパルコに転勤の辞令が出た

 

 

 

体重が37㎏を切ったのを見てて心配してくれたらしい

(水が合わなくて帰りたいと言ったかもしれないが覚えていない)

思えばあの頃は毎日ふわふわ浮いて歩いてた気がする

 

 

 

こんなことは初めてだったらしいが

決まってから一週間後には札幌に居た(笑)

 

 

 

 

 

 

「~したらいいっしょ」 「~てば」 

 

「~だもの」 「したっけね~」 

 

「~でないかい?」 「~でしたー」

 

「いやいやいやぁ~だべさ」 「~でさぁー」

 

 

 

地元の先輩の言葉にぐっと来た自分がいて

あぁ…

北海道に戻って来られてよかったと心から思った

 

 

 

4Fの店で勤めて新規オープンに合わせて2Fの店に移動

パルコにメンズ、レディース合わせて3店舗展開の絶頂期

 

 

 

男女関係なく面倒見のいい先輩たちと仕事をし食事をし

泊めてもらったり一緒に遊んだりと楽しく過ごした

 

 

 

 

 

 

 

数年が過ぎ

一度自分を見つめなおそうと退職したにもかかわらず

改めてスキルを身に付ける努力もしなかったので

結局は札幌駅地下エスタのB店の服飾店員になった

 

 

 

数年後にパルコの支店に移動したのはいいが

いきなりノーマル、スポーツの二種展開の

スポーツコーナーの店長に

(元の候補が打診されたが辞めたからw)

 

 

 

段々と顧客が増える度に不安になっていき人間関係も…

私を信じて指名してくれるのは嬉しいが

こんな私がスタイリスト的な事をしていいの?

 

 

 

ある日店長の嫌いな他店の店長に

私がお客さんの為の服のお取り寄せを依頼した事で怒られ

(在庫が在る時はお互い様)

言うことを聞けないなら辞めろ!と言われたので次の日から休んだ

反抗期か!(笑)

 

 

 

呼び出された時に「お前が謝れば上手くいく」んだから謝れと言われ

「仕事にお前の事情なんか関係ないだろーが」的な事を

綿あめにつつんで言い返した記憶がある

 

 

 

(あー 駄目だこりゃ、もういーや)

やっぱりこのまま辞めますと帰った

クソ生意気w

 

 

 

 

 

 

入籍後に東急の同じBの支店にバイト勤務で入った

(喧嘩店長はパルコなのでめったに合わず)

社員の仕事は出来ませんのでとお断りしつつ…

 

 

 

共働きはしばらく続き貯金も少しづつ増えたが

結婚式後の引っ越しと同時に義母との同居も決まり

私の「いらっしゃいませー」人生も幕を閉じた

(続けたかったけど)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

長男は夫婦で美容室経営だから~

義姉はお嫁に行ったから関係ないし~ で

三番目の夫の妻の私が

パーキンソン病で寝たきりの義母を診る羽目になったよ

なんなら義父も看取ったよ

義●に私のせいでお金を払ってくれなくなった

私のせいで義父が癌になったとか言われて散々ww (←なんでよ)

 

 

 

今は自営業なので

夫に鞭を打ちながら馬車馬の如く働かせ パシーン!WW

私は家のすみっこで事務仕事をしている

 

 

 

ちょっと前記事あたりで愚痴っちゃった長男の荷物整理で

押し入れから懐かしいアルバムが出てきて

試着した服のパターンの写真をみつけ

思い出した話にお付き合いありがとうございました

 

 

 

 

 

 

 

 

恥ずかしかった言いまちがい

 

販売員あるある

いいまちがいごっこをして遊んでいたこと

 

 

 

 

 

       ①いらっしゃいませ 

どうぞご覧くださいませ→どうぞごめん下さいませ

 

 

          よろしければ 

     どうぞお召しくださいませ →どうぞお召し上がりくださいませ

(着てみて)           (食べて)

 

 

        ③よろしかったら 

どうぞお試し下さい→どうぞお食べ下さい

 

 

 

etc etc…

 

 

 

 

 

 

 

当時役員を兼ねて時々店に現れる

50代の女史がお客様に堂々と

「よろしければどうぞお食べになってね」

(↑お召しになってねの意ww)

 

 

 

店内は凍りつき

私達は泣き顔で息を止めた新宿三井ビル店の遠い記憶

 

 

 

同じネタで投稿する

 

他の投稿ネタを確認する