山道を登り、岡城跡に到着しました。

 

 

駐車場は広大ですが、平日という事もあり駐車車両は少しだけでした。

QRコード決済が使えたので入場料300円をd払いで支払いました。

ただし、楽天モバイルの電波が圏外だったため、wifi接続で使用しました。

客が他にいなかったので後続客に迷惑が掛かりませんでしたが、注意が必要です。

 

 

日本の城というと戦国時代~江戸時代に造られたイメージがありますが、岡城は1185年に緒方三郎惟栄(これよし)が源頼朝と仲違いをしていた弟義経を迎えるため築城したと伝えられています。

1185年といえば鎌倉時代の少し前で、戦国時代からは400年ほど前の時代です。

 

 

 

 

江戸時代の1771年に火災で大半の建物を焼失し、1874年(明治8年)に廃城令により完全に取り壊しとなりました。

その後長い間荒れ果てていたそうですが、1936年(昭和11年)に国の史跡に指定されました。

少年時代を竹田で過ごした瀧廉太郎は、荒れ果てた岡城に登って遊んだ印象から着想を得て「荒城の月」を作曲したと言われています。

 

 

 

 

ここから徒歩登りスタートです。

 

昔の石段と観光用の階段がありますが、ここはやはり昔の石段で登ります。

どちらも難易度にはあまり差が無さそうでした。

 

ここが門の跡です。

 

建物は残っていないですが、敷地は広く眺めは良かったです。

 

手すりはどこにもありません。

危険は自己責任で石垣の端まで行くことができます。

 

 

 

 

 

こういった高台にある城の生活水はどうしていたのかという疑問が湧きますが、この城は井戸があったようです。

 

ガードレール代わりの生け垣がある部分の道を通るのですが、下までの落差が・・・。

 

「岡城跡」の画像というとこの部分の風景が良く使われます。

 

トイレ兼休憩所の建物がありました。

自動販売機の表記がありましたが、本体が見当たりませんでした。

採算が合わず撤去されたのでしょうか。

 

内部にはピアノなどがあり綺麗でした。

 

滝廉太郎の銅像。

 

この先もとんでもない落差があります。

端ぎりぎりまで足跡が付いており、度胸試しをした形跡がありました。

 

天満宮がありました。

先ほども古墳横で見かけましたが、九州は天満宮が多いのでしょうか?

 

 

 

「荒城の月」の歌詞を刻んだ石碑です。

作曲は滝廉太郎ですが、作詞は土井晩翠です。

現代は作詞作曲を同一人物がするのは珍しくないですが、フォーク・ニューミュージックが出る前は分業が当たり前でした。

分業制にした方がそれぞれのクオリティーは高くなると思います。

 

 

 

 

 

古い時代の城なので、石積み技術は雑です。

隙間に小さい石をはめ込んでいます。

 

でも、石段の手すりだけは切り出した石をびっしり隙間なく積んでありました。

 

 

岡城を後にし、車で次の目的地「魚住の滝」へ向かったのですが、場所が分かりにくかったです。

大分の道は立体交差している場所がたくさんあり、Google マップでは交差点に見える場所が、実際は立体交差で曲がれなかったりして到着にかなり時間がかかりました。

 

 

竹田ダムがありました。

この近くのはずなのですが、全然滝が見つかりません。

 

看板がありました。

 

 

場所はここで合っているようなのですが、渇水期のため水が流れていないようです。

 

アップで撮影してもこの程度の流量です。

 

借り画像ですが、流量がある時期だとこんな感じです。

 

国道502号を東進し、「第三小田無隧道」を探しました。

国道にある新しいトンネルと並行して旧道時代のトンネルが残っています。

山からの水量が多く、入口の上からボタボタ垂れています。

 

反対側は水の滴りもなく綺麗でした。

 

 

次は「蝙蝠(こうもり)の滝」に向かいました。

ここはたどり着くまで道が非常に細く、軽自動車でよかったです。

途中でプリウスとすれ違ったので、ギリギリ普通車でも行けそうです。

 

 

蝙蝠の滝展望台からの見晴らしです。

上空から見ると蝙蝠が羽を広げた形をしていることから名付けられたそうです。

ここも見事な滝でした。

 

 

 

 

 

滝壺まで行けないか車で降りて行ったのですが無理でした。

ここは滝が落ちる前の上段です。

行けるのはここまでが限界でした。

 

 

 

次は原尻の滝に向かいました。

この滝は有名なスポットらしく、国道502号から少し南に入った位置にありますが、案内看板の通り進めば到着します。

 

 

無料駐車場に車を停めて近づきます。

不動明王が祀られています。

吊橋も見えてきました。

 

この岩は阿蘇の噴火によりできた岩とのことです。

この周辺の滝ができる川の段差ができた原因は、大昔の阿蘇の噴火のようです。

 

 

原尻の滝は上段にも滝壺にも近寄ることができます。

水量が多い時期にはもっと迫力があるようです。

滝の形状だけなら、日本のナイアガラという感じです。

 

 

 

 

 近くに滝見橋という吊り橋がかかっています。

 

 

 

 橋の上からの眺め(上流側)。

 

下流側。

 

 

 なんと、原尻の滝は上段を通過できます。

 

 上流の川の中には鳥居がありました。

「二宮八幡社 一の鳥居」という鳥居だそうです。

これまで天満社ばかりだったので、初めての八幡社です。

また、海や湖に建つ鳥居は知っていますが、川は初めてです。

流れがあるのによく建てられましたね。

 

 

滝の上流に「原尻橋」という古い橋があるそうなので、車で向かいました。

 

橋が見えてきました。

古い石造りの橋です。

 

車一台が通れる幅の現役の橋です。

1923年(大正12年)開通で100年以上使われています。

 

 

 

 

 

この時点で、15時50分。

豊後大野市でもっと見たい箇所はあるのですが、残念ながらもう帰らなければいけない時間です。

18時半までにレンタカーを返却しなければなりません。

本来なら18時閉店ですが、スタッフさんが出勤途中の交通事故にあったため朝の貸し出しが遅れたので、返却時間を延ばしてくれました。

国道502号に戻り、別府に帰ります。

 

 

帰路途中にまた古い橋を発見。

グーグルマップで見ると「鳴瀧橋」で1922年(大正11年)の完成。

先ほどの原尻橋とほぼ同時期です。

造りも似ています。

 

 

この橋は豊肥線緒方駅が開業する際に、緒方川以南の住人が駅を利用できるよう渡れるようにした橋だそうです。
平成5年の集中豪雨で高欄・壁石が流失したのを壁石のみ復元したそうで、高欄(手すり)は新しい金属製のものが付いていました。

原尻橋よりと同じ緒方川に架かっているのですが、そう考えると原尻橋は良く持ちこたえたと思います。

 

この後はひたすら別府を目指しました。

帰路途中に時間があれば大分市内にも見たい滝があったのですが、大分市内中心部で帰宅時の渋滞があったので断念。

 

 

別府市内の指定されたコスモステーションで18.16L給油し、3432円をクレジットカードで支払い。

17時50分に別府のレンタカーに車を返却しました。

 

 

今日の走行距離は172.9km。

昨日の352.5kmと合わせて2日間合計で352.5kmでした。

燃費は19.41km/Lとなります。

エアコンは使っていませんが、坂道が多かったのでこんなもんでしょうか?

 

 

ホテルに帰り、食事に行きました。

昨日と同じレストランです。

 

 

紙鍋、アジフライ、鰤の照り焼き、ホタテの刺身、だんご汁などでした。

 

 

 

 

今日は外の温泉に入りに行く気力もなく、ホテル最上階にある浴場へ。

ここも温泉です。

 

入浴後は早くに床に入りました。