さて前回までのブログ内容は本「荘園分布図」を参照したものの、それ以外はネット情報に頼る部分が大きかった。ここまで荘境石の本質には迫れていない。

 

<新居図書館前の庭園にて(3)>

 

 

 

そこで現地に最も近い新居町の図書館に出掛ける事にした。出掛けたのはネジバナが咲いていた2025年6月下旬の暑い日だった。尚、個別ブログは別途投稿する予定。


ここで3つの資料を得た。

(1)「文化財のしおりシリーズ第1弾『史跡めぐり』」(1978)
行数にして僅か4行の記載あり。以下に引用する。
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荘園時代の名残の石が建てられている。……(中略)……「吉美ノ庄」「村櫛ノ庄」の境石と伝えられるが、裏付資料はない。
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そうか、ここでは笠子が「吉美」、曳馬が「村櫛」と書かれている。曳馬は村櫛よりも広い範囲を示すので、同様に笠子が吉美よりも広いエリアなのだろうと推測できる。勿論、歴史的に新しい/古いの違いもあるだろうがそこまでの解釈はできない。

(2)「遠州歴史散歩」神谷昌志(1989)
こちらの本は丸々2ページを割いて記述されている。
まず驚いたのがタイトルにある「庄境石」の文字。私が見た「荘境石」とは文字が異なっている。どうやらそれとは別に、ゴツゴツした高さ1.5m、幅1.2mの巨石があるのだと言う。私が見つけた荘境石の碑にも触れているのだが、どうやら主役は巨大な自然石で私が勝手に勘違いしてしまったようだ。以下に何箇所か「・」付きで抜粋して引用する。


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・「笠子之荘」の存在について疑問視するむきがあって
・果たして荘園制の昔にまでさかのぼるかどうか意見が分かれている
・笠子(湖西市)は荘名(庄名)ではなく郷名であることが判る
・漁業の海別標識であったとする説の方が有力となる
・江戸初期から浜名湖では採取する藻草をめぐって、庄内半島の村櫛村と東岸の宇布見村、山崎村との間に争いごとが絶えなかった
・江戸表に決裁をあおぎ、寛文五年(1665)公儀から一枚の絵図が下付されてきた。その絵図のなかに「海上の庄境より新井洲崎一本松見通之境…」という文面があり、現在荘境石(庄境石)の建っている新居弁天に昔一本の松があり、海上の庄境からその松を見透かしたラインを境界としたことが判る

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荘園時代のことはさておき、この石が江戸時代に有用だったことが確かめられた。庄内半島の村々の争いごとを諫めるのに役立っていたのか。ここで言う海上標識が浜名湖内のことを意味するのかそれとも遠州灘(外洋)のことなのか、そこまでは読み取れない。
 

それにしても「荘」と「庄」の文字の使い分けは難しい。ただ、この文章を読む限り、前者は広い範囲を示し、後者はエンクローズされた範囲ように感じる。

(3)「中之郷誌」(2009)
本のタイトルにある中之郷(湖西市新居町)にはかつて鎌倉時代には那賀荘という荘園があり、高野山金剛峰寺に寄進されていた。他にも、寄進先について記述あり。
吉美荘(湖西市): 京都の臨川寺領
新所郷(湖西市): 京都の南禅寺領
村櫛(浜松市): 京都の東寺領
三ヶ日・細江・都田(浜松市): 伊勢神宮領

(4)浜名の橋と今切の位置
ちょっと余談になる。新居町で得たパンフレットを見ていて、浜名橋と今切口は別の場所だったのかと今更ながらに気づかされた。


今切が現れたのは明応年間(室町時代)で、浜名橋は更級日記のころ(平安時代)に架かっていた。なので、冷静に考えれば誤解しようのないことだった。浜名橋は橋本宿(江戸時代の新居関所よりやや南西方向)にあり、今切は新居関所よりかなり南東方向に位置しているのだ。
 

下図を見ると分かりやすい。1枚目は俯瞰図で、2枚目は砂洲の最西部の拡大図だ。浜名橋が架かっている所が橋本宿で、「壱本松」のやや東が室町時代に切れた今切口になるのだ。尚、この壱本松は江戸時代の記録にも登場するもので、次回の「新居の荘境石⑩」ブログで紹介することになる。
 

<平安・鎌倉時代の浜名湖最南端部、浜名橋周辺を拡大> 0614_21、22

 


 

※出典

静岡大学学術リポジトリ「明応(今切決壊)以前の浜名湖南部の地形」

https://www.google.co.jp/url?sa=t&rct=j&q=&esrc=s&source=web&cd=&ved=2ahUKEwiVm8PYjL6NAxUdzjQHHdRHMjsQFnoECBYQAQ&url=https%3A%2F%2Fshizuoka.repo.nii.ac.jp%2Frecord%2F10002%2Ffiles%2F92-0011.pdf&usg=AOvVaw2SuTIg98MEBodn8lFbcVCt&opi=89978449

 

荘境石についてこれだけの収穫を得られたので、この勢いに乗って荘境石を再確認してみるか。ただ、この日は6月の暑い日だったのでもうげんなりしていた。また次の機会にしよう。