(1)TBS「不適切にもほどがある!」

【第8話】

「TVが向き合っているのは見ていない奴ら」って山本耕史の科白はTV関係者が過敏に気を使っていることなんだろう。金妻のパティオはもっと穏やかな時間が流れていて欲しかったけど、浮気を巡る不寛容は17年経っても針のムシロだった。

もう10年以上前だったと思うが、鴻上尚史の演劇で「イントレランスの……」を見たことを思い出した。イントレランスとは不寛容の意。ネット検索すると「イントレランスの祭」ってタイトルが出てくるけど、なんかこれとは別な気もする。日々の生活に埋没して生きていると、こうした変化に気が付かないけど、鴻上さんとかクドカンとか時代と向き合っている人は変化に敏感だ。とりわけSNSの隆盛で視聴率は下がっているのに無駄に神経を尖らせないとならないワケだ。

1986年のじゅんこは「(2024年に)スケバンが絶滅していた。不満がないからツッパリは絶滅したのか」と未来を振り返る。別に21世紀の世の中で不満がないわけじゃなく、不登校は増えているし貧富の差も広がっている。ただ、誰も大声で主張しなくなったので何事も見えにくくなっただけのこと。レイヤとかフェーズなど一瞬考えないとならないヨコ文字会話が乱用されているのも原因の一端だ。

ムッチ先輩のSince 1986、キョンキョンじゃないキョンキョン、変わり果てた彦摩呂、どれもいいアクセントになっていた。

 

<TBSサイトより> ※再掲

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【第9話】

仲里依紗の「来週(○○さんは)いないものと思って予定を決める」発言。これがプレマタハラに該当するとの審判。だからって、ゴミ捨てルールを守らない近隣のオバサンから「そんなんだからパワハラするのよ」と追及されるのは見当違い。2024年はとかく厳しい。

私個人もある発言を巡って会社で非難された事があった。「切る」ってワードで自分が言いたかった意味と相手が受け取った意味が全然違っていて、第三者から回り回って指摘されて驚いた事がある。確かに「○○を」と明確に喋らなかったのが悪かったのだけど、それを言いにくかったからヤンワリ伝えたのもホントだったのだ。

吉田羊が「(1986年を)全体的にうるさかった」と総括していた。確かに黙って検索する現代より猥雑でないと生きていけなかった。社会がうるさかったとしても、周囲に寛容だったはず。

酸素吸入していた古田新太が踊ったあとに自分で救急車を呼ぶシーンも破天荒。まあこのドラマだと何でも許せる。

 

【第10回】阿部サダヲは2024年の世界を体験してから分煙意識が芽生えて外でタバコを吸うようになった。ケツバットより水分補給も進歩だ。ノミ二ケーションに冷めてきた。ただ、「痴漢は犯罪だけど、女装は趣味」って間違っていないけど、2024年においてもあからさまに区分けする必要もなく笑えた。

仲里依紗は年下のじゅんこ(母)に初めて呼び捨てにされた事が嬉しくて涙をこぼす。きよしは将来自分の両親となる小中学生に「仲良くして」と別れの挨拶をする。

寛容は大事。誰だって大目に見て欲しい場面はある。確かに大雑把な態度とは違う。小学生の運動会で競走に順位をつけないとか、甘えを助長することとも違う。歌でオブラートすることでやんわりと伝わったんじゃないか。

最終回のタイトルは「アップデートしなきゃダメですか」で、タイムマシンのお陰でみんなアップデートされていた。ツルッとした1986年の阿部寛のポスターからはTBS「VIVANT」のヒゲ面をおよそ想像できない。笑えるけど総じて穏やかなラストだった。

 

【全体を通じて】

個人的には初回から第6話までの破天荒な展開が好き。

もちろん、第7回以降はお互いに未来や過去を知ったことでダイナミックな展開から、家族など身近な存在を思いやる気持ちにシフトしていった。それもこのドラマだからこそ伝えられたメッセージだと思う。やっぱり今クールのベストドラマ。

 

(2)その他の連ドラ

●TBS「さよならマエストロ」

最後まで見たけど、感想は省略。

 

●NHK「舟を編む」

このタイトル、本も映画も縁がなかったけどドラマが終わったらチェックしてみたくなった。

 

【第5話】

言葉って面白い。「靴下」はどうして靴の上に履くのに靴下なのか。「下」には「外から見えない内側」と言う別の意味があるのにビックリ。「からかう」には山梨の方言で「手を尽くす」意味があるのだとか。山梨と言えばNHK「花子とアン」のこぴっとが耳に残っている。

森口瑤子と池田エライザ(からかう)、村川絵里と息子(産まん)2組の親子、ともに子供が親に対して引っ掛かった言葉はずっと気になってしまう。辞書作りでも子供の目線でも「信じるために疑う」フレーズを上手く重ねながら、親子の機微が優しく描かれていた。

 

【第6話】

書籍の辞書かネットの検索機能か。確かにGoogleで刹那的に済ませているけど、私は世代的に「その時代を残しておく」役割を評価していいと思う。それと、アルバイトの男性が先輩の文章を読んでいた中にセレンディピティの語を見つけていた。ネットサーフィンが何時間も続けられるのはこのお陰だ。辞書にもあるのか。

余談だけど、かつて読んだ外山滋比古「乱読のセレンディピティ」は意外性の発見を言いたかったんだろうけど、それが伝わる本ではなかった。勿論、セレンディピティの効果=思わぬ発見、繋がりの検知は旅してネット検索して次の旅先を見つけるとか面白いのは分かるつもり。

「手を差し伸べる」の件は分からなかったけど、以下の科白はサマになっていた。カツはカツとしてカレーと出会った。微は単独で「そよ」と読まないが、風と言う文字と出会って「そよかぜ」になった。

 

【第7話】

(見逃してしまった……)

 

●NHK「光る君へ」

3ヶ月経って毎熊さんと道長、2人の男との縁が切れた。誰か次のキャラが登場するのか。3/31のは再放送待ち。

 

●NHK「ブギウギ」

定番の朝ドラとして面白かったし、最終回も華やかに締めた。

自宅で木野花やマネージャーらに向かって「なんで歌手を辞める日に一緒にいるのがあんたらやねん」と笑顔で話す。誘拐未遂犯を自宅で雇うのはあり得ないと思うけど、自分がもらわれっ子だった事もあって、そうした逸話が残っているんだろう。


(3)単発ドラマ
●NHK「ケの日のケケケ」
番組表を見て「ケケケ」は「ゲゲゲ」の親戚かと思っていた。妖怪みたいな生き方は似ているけど、とんでもない緩さだった。なかなかにマイナーなドラマだった。今なら多様性を認める社会なので許容されるけど、20年前とかだったらあり得ない「不適切な」脚本だろう。
 

だいたい主人公の科白が尖っている。
・不機嫌なモンスターにならないためにはたゆまぬ努力が必要だ
・いずれ会社で働かなきゃいけないし、今くらいご機嫌に休んでいたい
・求めているのは寛容ではなくご機嫌を得るための自由
・笑って過ごす。幸せに暮らす
 

ユルユルの當真あみと食卓を囲んでいるとNHK「カーネーション」でコワモテの印象が付いた母親役の尾野真千子すらたじろいでいるように映るから不思議だ。

 

行動もぶっ飛んでいる。ヘッドホンしてサングラスかけて、生徒会長に立候補する。しかも「抱負は何もしないこと。部活に入る事を押し付けないで」。
 

ただ、努力しても全ての子供がスポーツや音楽で報われるわけではない。能力や怪我や周囲の強制力や、それらに打ち打ち克ってまで部活に追い回されるのは本末転倒だ。かつてどこかで聞いた事がある噂だと、放課後も生徒を部活に縛りつけておけば不良にならないとか。ケケケ同好会のメンバーはおそらく不良になるパワーもなさそうだし、部活しない自由を認めてあげてもいいんじゃないか。
 

聴覚過敏で子供の声がウルサイ、味覚過敏で肉や米が食べられない、知覚過敏でPCデフィスプレを見られない、……。感覚過敏については何とも分からない。ただ、部活の強制力に嫌気がさしている点に共感する中高生はそこそこいるんじゃないか。