行程: 裏磐梯スキー場(8:55)→ゲレンデ上(9:30)→銅沼(9:50)→廃屋を発見(11:00)→どっちも登山口なのか(11:05)→膝まで踏抜いて撤収判断(11:25)→裏磐梯スキー場(13:30)
ハッキリしない微妙なトレースで迷いながら直進していく。消えていたトレースが時々現れるし、冬道に間違いないだろう。ただ、この日ヤマでは誰にも会わなかった。
<銅沼、踏抜きそうな予感>
右手に錆びた色合いの沼が見えた。銅沼だろう。確かイエローフォールってこの近くだ。雪山を初めて知った2010年にスノーシュー・ツアーで連れてきてもらった。この「連れてきて……」だと何も記憶が残っていない。このツアーで雪山にサングラスが必須なんだと教えてもらったのを思い出す。
やや右に回り込んで急坂をやり過ごす。迷いながら進んでいく。この急登で大丈夫だろうと思ったのだが、雪の下で水が流れる音がする。そこそこ広がっていそうだ。もしかして踏抜くリスクがあるかも。
もう1つの急登を経て、バラックを見つける。中には骨組みだけになった無残な姿を晒す建物もあった。はて、夏に八方台登山口から歩いた時にこんな所を通ったか? 否?
<バラックはどこの建物なのか、さらに登る>
今度は左方向に登っていく。しばらくすると2時間ぶりくらいで標識を発見。ただ、この案内ではどっちが山頂か分からない。これって道間違いだな。認めるしかない。もうちょっと頑張るか、諦めるかこういう決断はなかなかできない。残雪期なので何度か踏抜いている。くるぶしの上くらいならまあいい。ただ、全くの空洞に膝までスコンと落ちてプツンと緊張の糸が切れた。今日は終わり!
【事後ネタ:その1】
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つい先日、東北の山小屋で出会った方から2024年の残雪期に登ってこの看板に戸惑ったと伺った。まさかこの看板のことで誰かに共感してもらえるとは思っていなかったのでビックリ。因みに、その方は那須岳、磐梯山、燧ヶ岳、会津駒ヶ岳と一気に4連登されている強者だった。およそフィジカル面で私には真似できないハードな日程だ。
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<山頂はどっちでもない! ドラゴンアイ発見>
八幡平のドラゴンアイってこれよりもっと大きいものなんだろうか。いつだったかGWに八幡平の雪山に行くつもりで盛岡まで出掛けて、そこで初めて「雪が多いので今年はまだバスが走れない」と言われてしまった悲しい記憶もある。
来た道をそのまま引き返す。それだけなんだけど、自分がつい1時間前にどこを歩いたのか怪しくなるのが悲しい。遂に、膝上ならぬ股下までスコンと踏抜く。これは怪我しかねない。引き返して正解だったんだろう。
<トレース、股下まで踏抜いた!>
幹の周りだけ雪が溶ける現象がある。樹木の中が温かいからだとか、元々雪が溜まっていないから早く溶けるだけだとか聞く。ただ、道路標識が立っているだけでもその周囲は速く雪が溶ける。この写真を昨年どこかで撮った気がするのだが、飯山(花立山と斑尾山)だったかな。で、ここで見つけたのは何もないのに丸く地面が見えている場所。何故だろう。
【註】季節がズレてきたので、2023.3の飯山ブログは来年に回す事にしたい。
<ここも沼地か、幹がなくても丸い穴>
スキー場に戻ってタクシーを呼ぶ。待っていると若い女性が1人で下山してきた。
「山頂まで行けましたか?」
「はい。4時間掛かりました」
この女性のイントネーションがちょっと不自然。聞いてみると台湾人でレンタカー借りてここまで来たとか。
「どうしてこの時期の磐梯山にきたんですか?」
「このヤマ、有名ですよね。明日、台湾に帰るので登りたかったんです。良かったら車に乗っていきますか?」
タクシーを呼んだ後だったので丁重に断ったけど、もう少し話してみたかった。台湾には4000m級のヤマもあるし、ヤマに馴れている人なのだろう。
裏磐梯ビジターセンターで話して分かった事が2つ。
・あのバラックは中の湯
・冬に登るなら裏磐梯ではなく表のスキー場でリフトを使った方が登る時間を短縮可
【事後ネタ:その2】
以下の2枚を見比べてみた。比較のためにはどちらかの写真を逆向きに貼った方が良かったかも。
<登山メモ、今年のヤマケイ4月号から転載>
あれから1年経って「山と渓谷」をパラパラめくっていた。なんと、直近の4月号で残雪期の磐梯山を紹介しているではないか。
この地図によると裏磐梯からスタートしているけど、中の湯は通っていない。逆向きにして自分のメモと比較してみると、もっと左に歩くべきだったのだ。また2~3年したらリベンジしたい。