カヌーが転覆した晩はカヌーのガイド宅にホームステイすることになった。そのまま2晩泊ることに。

 

<カヌー転覆の長い夜が明けて(4)>

 

 

 

 

そこはガイドとイタリア人の彼女が住む家だった。元々ゲストハウスを計画している最中だったので空いている部屋がいくつかあった。そこでTV見たり、トマト味のパスタやステーキなど料理を作ってもらったり、ルアペフ山(標高2797m:トンガリロ山のやや南)中腹のスキー場までドライブしたり、のんびり過ごした。

 

<ガイドがステーキを作ってくれた>  ※再掲

 

<ガイド宅は広かった>  ※日記帳より

 

カヌーがズルズルと沈没した後でもがいた証は、ガイド宅の風呂場で裸になった時にようやく自分の目で確かめることになった。当時はデジカメが壊れていたので、この写真は帰国後に撮ったもの。これって麻薬中毒患者の四肢みたい。かつて、冬の志賀高原で凍っていると思い込んでいた湿り気のある氷が割れて冷たい池に落ちた事がある。派手な内出血、その痛々しさは将にあの時と同じものだった。

 

<沈没して川でもがいた右手、右足>

 

 

カヌー転覆、いやそのまんまの状態でズルズルと水面に沈んでから3日目、オハクニから断崖が続く渓谷を左手に見ながらブルズの街まで送ってもらった。途中で買った寿司があまりにも固くて3人で大笑い。他にもいろいろあったけど、旅行記に書いたので詳細は省略。

 

<渓谷(2)>

 

 

<地図を辿るとおそらくRangitikei River>

 

ブルズ博物館は商店1軒分の小さなスペースで、白人による開拓史がわかるような場所だった。

 

<小さなブルズ博物館で買った定規、ブルズでお別れ>

 

 

旅の終盤、ワンガヌイ川の武勇伝を何人かと喋った。こちらから喋ったのもあれば、紫色のアザを見て「どうしたの!」と向こうから聞かれたのもあった。

 

馴れない英語でひとしきり事情を話し終える。呆れる人もいれば、「元気そうで良かった」と笑ってくれる人もいた。某ホテルのスタッフから「そういうのをdo a devilって云うんだヨ」と教えてもらった。はて、どういう意味なんだろう?

 

帰国後にdo a devilをネット検索しても見つからなかった。be a devilが「思い切ってやってみな!」だったのでそれに倣うと「際どい修羅場を切り抜けてきたネ」でいいんじゃないか。