東日本大震災はもう10年以上も前のことだ。この10余年でも岩手や福島、栃木を旅すると当時の話を伺うけど、自分の中では過去形になっているのがホントの所だ。今年は元旦の能登半島地震で正月気分も吹っ飛んだ。輪島や珠洲などで地盤が4mも隆起したって報道には驚かされた。
調べてみると、東海道の宿場町で地震の影響や防災の知恵が形になっているものがあると知ったので、いくつか紹介したい。
(1)袋井の命山
江戸時代と平成の命山について、3回に亘ってブログを書いたので詳細はそちらを参照。平成の命山は4つあり、建設時期は平成25~29年。
<平成の命山、江戸時代の命山> ※いずれも再掲
※参考ブログ
ちなみに以下のpdf資料は袋井市内のことだけでなく、御前崎から湖西市まで遠州灘の被害について広く記述されている。
http://fukuroi-rekishi.com/siryo/kaisetsu/pdf/20131216155008.pdf
ネットで検索すると、静岡市清水区、湖西市(静岡県)、名古屋市港区など東海道の各地だけでなく、大分市など全国規模でこうした命山の取組みを推進していることが分かった。カッコ内は建設時期。
※静岡市清水区(平成28年)
https://www.sbs-promotion.co.jp/heart-bosai/archives/736
※湖西市(平成29~令和3年)
https://www.city.kosai.shizuoka.jp/material/files/group/2/kamidamathi.pdf
※名古屋市港区(建設中)
https://newsdig.tbs.co.jp/articles/-/343623?display=1
※大分市(令和5年)
https://www.city.oita.oita.jp/shisejoho/shichoshitsu/kishakaiken/r5/documents/1025_4.pdf
(2)浜松の砂丘堤防
日本三大砂丘の1つが浜松の中田島砂丘である。浜松まつりの凧あげ会場になっている。砂丘なのだから砂地に起伏があるのが自然だと思う。
ところが、現在では不思議なことに東西一直線の砂山になっているのだ。何故かと言えば、津波対策で高さ15mの防波堤を埋め込んでしまったからだ。もう今となっては起伏のあるかつての姿を見られない。いずれ中田島のブログも書こうと思っているが先ずは写真を1枚だけ紹介。
<防波堤のてっぺんが露わにはみ出している>
(3)今切
中田島砂丘の西にある浜名湖がかつて地震の影響で切れて太平洋と繋がったのは知っていた。新居の今切口を実際に見に行った事もある。
※参考ブログ
(4)蒲原の地震山
蒲原と言えば東海道五十三次の浮世絵で雪の風景が有名。ただあの絵を見るたびに、あの地域でホントに降雪があったのかと疑問に感じるのもホント。それはそれとして、今日は地震ネタに限定する。
以下サイトを参照すると、蒲原では地震の影響で富士川が流れていた場所で土地が隆起して地震山ができ、川がやや東に移動したのだとか。「地震山下」なる地名はあったようだけど、既に盛り上がった箇所が住宅地になっているとか。ここも訪問してみたいのだけど、ちょっと萎えてしまった。以下は不謹慎な戯れ唄だけど、それだけのインパクトがあったって証左になる。
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耕作面積が増えた蒲原では、農民の間で、「地震さん地震さん、わたしの代にもう一度、孫子の代には二度も三度も」という戯れ歌が歌われたという伝承もあります
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※出典