もう1つの命山が中新田のやや西にある大野地区。

 

江戸時代の命山は高さ3mくらいで中新田のそれより低いものの山頂部はやや広い。50~70人くらいなら避難できたのではないか。ここでもサザンカかツバキの花が散っていた。2月上旬なのでやや早いと思うけど、冬が温暖化しているしボトンと落ちた感じがツバキなんだろう。

 

<大野:江戸時代の命山(4)>

 

 

 

 

こちらも海抜10mで中新田の「きぼうの丘」と揃えている。整備費3.77億円で、収容人数300名。

 

<大野:令和の命山:寄木の丘>

 

この付近には命山がいくつかある。江戸時代のモノは中新田と大野の2つ。平成の命山は中新田、大野のほかにも2つ建てられている。以下ご参考まで。

http://fukuroi-rekishi.com/siryo/20160317091438.pdf

 

<あさば1万石>

 

ここ浅羽町は江戸時代に良質な米が獲れたので天領になっていたとか。これも地元の方に教えていただいた。

 

<袋井は東海道どまんなか>

 

JR袋井駅に戻ると「どまん中」って言葉が気になる。調べてみると東海道五十三次の27番目の宿場町で江戸と京のちょうど中間地点だったのだ。それより、北口南口って乾いた表現よりも「秋葉口」、「駿遠口」(かつて袋井駅から東に静鉄駿遠線が伸びていた)って表記が気に入った。