時期: 2024.2.上旬

 

元旦の能登半島地震のインパクトは大きかった。ネットであれこれ地震の情報を探っていると「命山」なるものを発見した。どうやら、津波ではなく高潮被害から身を守るために丘のような盛り土を作ったモノらしい。それを見るために、袋井市に行ってみた。

 

ここは袋井市となっているが、かつては磐田郡浅羽町だった。

 

<公園内の古墳オブジェ、メローなまちのマンホール>

 


噂によると袋井市では特産のメロンタクシーが走っていると聞いたのだが、メロンデザインの車は見掛けなかった。でもこの街を半日歩いてみるだけで地元の人から話しかけられる事がたびたびで「メロー」がホントなんだと実感できるのが面白かった。

 

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静岡県浅羽町(あさば)は「日本一メローなまちづくり」に取り組んでいます

でも、日本中どこを探しても「メローなまちづくり」をめざしているところはないと思いますのでずぅーと日本一です

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※出典

http://www.asaba.or.jp/machiokosi/odekake/

 

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“メロー”とは、みんなが明るくほがらかで、気軽に声をかけあうことができる豊かな街を意味しています。旧浅羽町では、“メローなまちあさば”をスローガンに、子どもから大人まで、みんなでまちづくりに取り組んできました。

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※出典

https://www.mellowplaza.com/gaiyou/gaiyou.html

 

浅羽記念公園にその歴史を伝える場所があるので、まずはそこに入ってみる。手前の近藤記念館には古墳時代と戦国時代の展示があった。こちらはNHK「どうする家康」の前に見ておくと良かったかも知れない。ただ、大河ドラマでは高天神の戦いがほぼ素通りだったのが残念。ちなみに近藤さんとは東証に上場している臨床検査会社BMLの創業者との事。

 

<近藤記念館と郷土資料館(2)>

 

 

奥にある郷土記念館に命山にまつわるモノが展示されていた。

 

<袋井市のジオラマ、航空写真、高潮被害>

 

 

 

この浅羽町は遠州灘にかなり近い位置にあり、命山は津波用だと思い込んでいた。ただ、実際には台風による高潮被害対策であり、遠州灘から川を遡って襲ってきたのだと言う。資料によると延宝8年(1680)に江戸時代で最大の台風が全国各地を襲ったとの事。

 

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延宝8年(1680)閏8月に近世最大の台風が中国地方から東海、関東、東北の広い範囲を襲い、東海地方では吉原、大井川、横須賀、浅羽、浜名湖口で高潮被害が拡大しました。横須賀城下の被害は大きく、民家6,000軒が流出、溺死者300人と記録されています。

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※出典

https://www.city.fukuroi.shizuoka.jp/soshiki/27/2/bunkazai/shiteibunkazai/10040.html

 

この地域は地図の西側に太田川と原野谷川が流れており、当時は原野谷川が遠州灘のすぐ北側を蛇行して東に流れていたとか。どうやらこの影響で付近の海抜が遠州灘付近より低くなっている。また、東側には入江のように奥まで内海が広がっている複雑な地形だった。

 

原野谷川の洪水対策として川の東側には浅羽大囲堤を築いていたものの、内海の辺りまでは伸びていなかったため、その近くの村が高潮被害に見舞われた。そこが地名で言うと同笠新田村(大野)と中新田村になる。

 

ちなみに、内海が広がっていたエリアは航空写真で見ても川の跡が黒く見えるとの事。また、太田川も原野谷川も治水工事を施しているため当時と今では流れが変わっており、ストレートに遠州灘に注ぐようになっている。

 

資料館のスタッフさんがとても親切な方でいろいろと教えていただいた。ありがとうございました。

 

<袋井の地形変化(4)>

 

 

 

 

こちらは近藤資料館にあった展示。長期的に大地の営みはダイナミックなものだと分かる。以前、浜名湖についても興味を持って調べたことがあるけど、隆起と沈下を繰り返して今があるって事だ。こうしてみると浜名湖の南部に大陸が存在していたって説もホントなのかも知れない。もう一度チェックしてみよう。

 

※参考:以前に調べた浜名湖や浜名川(リンクの7章)