先ずは、5月中旬に天方城址でみつけた草花を紹介。家康の負け戦については後半に引用している。

 

登山道の入口付近には白い花が2つ。いずれも他所では6月に見掛ける花だけど今年は暑いので早々に咲いているのかも。

 

<トキワツユクサ、ユキノシタ、ヤマボタルブクロ>

 

 

 

シダの芽が長く伸びている。

 

<何だろうか、シダ>

 

 

森町はお茶どころ。樹林帯を抜けて上がっていくと山腹には茶畑が広がっていた。掛川の山間部で見るのと全く同じ風景。

 

<森町は茶どころ、茶畑の脇にあった機械>

 

 

山頂のツツジはほぼ枯れかかっていたので省略。大木に春らしい明るい赤い実がたくさんなっていた。

 

<山頂の白い花、山頂の赤い実>

 

 

天方城の家康にまつわる情報を追加しておきたい。家康はここでも辛い戦いを強いられていた。先日Amebaブログに投稿した犬居城と天方城には1574年にこんな関係があった。と言うかこれを知ったのでここに来てみようと思ったのだ。

 

以下2つの新聞記事を参照。1つ目の記事は広域に書かれており、もう1つは森町のハイキングコース「戦国夢街道」の紹介記事になっている。

 

======

『三河物語』には、同(1574年)4月、「犬居へ腰兵粮にて御働有て、瑞雲に御旗が立けれバ…大雨ふりて大水出けれバ、一両日ハ何れも兵粮なくして迷惑したり…然る処に天野宮内右衛門、気多郷より出て、後勢にしきつて、慕い付、樽山之城(浜松市天竜区)、光明之城(同区)より、是等が先へ廻って…防ぐ事もならず」とある。気田川の洪水に阻まれ、兵糧(兵の食料)も尽き退却するときに追撃され、家康は森町の天方城まで敗走した。この三方ケ原に続く家康の手痛い負け戦は知られていない。

======

※出典

https://www.sankei.com/article/20150524-TZW52E6SENMIZHMJXVAARG757Q/

 

======

天正2(1574)年、若き家康は武田方天野氏の居城「犬居城」(浜松市天竜区)に軍事攻勢をかけた。ところが大雨で気田川が増水し、兵糧も尽きて進軍を断念。軍勢を引き揚げて帰る途中、三倉地区で天野軍の奇襲を受けた。家康は命からがら逃げ延び、天方城(森町向天方)にたどり着いたが、山中の戦いで多くの将兵の命が失われた。落命した武将たちをまつる「七人塚」は、ハイキングコースの県道を見下ろす坂の上に立つ。……(中略)……

家康を追撃した天野軍が勝ちどきを上げたとされる「万歳坂」、戦死した徳川方の武将の名をとった「鵜殿渕」など、言い伝えに基づく地名が各所に残る。かつては秋葉山を目指す道者が行き交う街道でもあった。

======

※出典

https://www.at-s.com/news/article/shizuoka/1185746.html