時期: 2023.5.上旬
行程: 大東北公民館前バス停(11:30)→追手門(12:00)→搦手門(13:45)→土方バス停(14:10)+オマケあり
NHK「どうする家康」なので、「掛川を制する者は遠州を制す」掛川(旧大東町)に行ってみた。実はコロナ禍になって毎年春になると掛川駅で下車している。でもそれは粟ケ岳、大尾山、小夜の中山などいつもヤマ目的だった。
掛川で歴史的なスポットと言えば掛川城だが、戦国時代に徳川と武田の戦の舞台となったのは高天神城。標高100mちょっとの山城である。
<あそこが鶴翁山・高天神か>
茶畑の広がる田園地帯を歩いていくと、大きな看板を見つける。あそこが高天神城か。高天神山は標高132mの山城。
<ここから歩く、バス停の傍にあった案内板、徳川家臣の屋敷跡>
この看板に「姉川七本槍」と書かれている。「賤ケ岳七本槍」は有名だけど姉川の戦いでも功を挙げた武士がいたのか。ikipediaで検索してみると確かに渡辺何某の名が出てきた。
<茶畑(2)>
ここはかなり海(遠州灘)に近い土地だが、茶畑が殆どだった。
<追手門、御前曲輪跡、遠州平野を見下ろす>
追手門から登っていくと10分で本丸(山頂)に到着。本丸は視界不良だが、手前の御前曲輪跡から下界の様子を窺い知る事ができる。緑の綺麗な季節に訪れる事ができて良かった。
この城址で固まってしまうのが、この「大河内政局石窟」と書かれた牢獄。武田方がこの城を奪取した時に武田になびかない徳川方の武士を足掛け8年間も幽閉していた牢獄だった。今は入口を土嚢で固めているが、立てないほど低い場所に屈めた姿勢で閉じ込めていたと言うのがなんとも戦国時代の厳しさだ。
<石窟と言う名の牢獄、かな井戸の傍にあった年表の一部>
高天神城の築城当初は今川の城だった。遠州忩劇で今川の手から徳川の城となる。その後、1574年に武田に奪われてしまうが1581年に再び徳川方が奪還する。年表にも戦国時代の動向が詳細に書かれていた。以下にネット情報も載せてみた。
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標高132mの鶴翁山を中心に造られた山城です。東の田園地帯から南側の遠州灘まで見渡すことができ、小笠山の北を通る東海道を牽制できる立地条件にある重要な城であったため、徳川と武田が争奪戦を繰り広げました。……(中略)……高天神城の築城は、室町時代、今川氏が守護大名から戦国大名に成長する過程で築かれたとする説が有力
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※出典
https://www.kakegawa-kankou.com/kanko/guide/facility_detail.php?_mfi=65
このサイトが良さそう。おそらく掛川市が製作しているサイト。