「春の野に咲くスミレはただスミレであればいい」このさわやかな言葉を綴った数学者・岡潔の本を少し読んでみた。海外ではフランス・ブルバギのように1数学者ではなくて数学者集団だと誤解されたほど卓越した数学者だった(けど、数学者としての業績は全く理解できていない)。
<2021.4宮路山で撮ったスミレ> ※再掲
自分にとっては伝説の人であって、下の数学者・森毅ののんべんだらりんとしいた数学の本を読んでこうした御仁が京都で岡潔の気風を受け継いでいるのかと想像していたレベルだ。
さて、この本の冒頭に「春宵十話」と題した10本の短編が載っている。偉大な数学者がどうやって数学に目覚めていったのか、近頃(と言っても1960年代)思っている事がつらつらと書かれている。
数学に留まらない本だけど、岡潔なのでやっぱりAmebaカテゴリ=数学に分類した。本日は数学、後半でその他の感想を書きたい。
(1)弛緩のタイミングで数学の発見に至る
気になったのは、数学の発見に至るには緊張と弛緩の時間がどちらも必要ってこと。自然に触れた瞬間など、ふとしたきっかけで発見への糸口が掴めたのだという。
それで思い出したのが、私が2019年7月に北イタリア・ドロミテ地方を旅行していた時の事だ。
シウジ高原に上がると草原が広がり、その遠くに2500m前後のヤマが周囲を囲んでいるさわやかな景色だった。その右端は岩が切れ落ちていて、ちょうどルート記号を左右ひっくり返した格好に見えた。その頃、思い出したように線形代数を学び直しており、行列や逆行列の意味が分からなくてモヤモヤしたまま旅に出ていた。
※参考ブログ:逆ルート記号の山並み写真も載ってます
シウジ高原に泊まった2日目の夜、ギラギラした数学の夢を見た。IT企業で働いていた頃にダンボール詰めされた帳票に押し潰される夢を見た事はあったけど、数学の夢はおそらく初めてだったので驚いた。
夢って反芻しないと起きた瞬間に忘れてしまうので、ゆっくりと夢のシーンの直前は何だったのか、何度も繰り返してその軌跡を辿ってみる事にしている。以前は夢ノートを枕元に置いていたけど、今は億劫になってそこまでしていない。ただ、その時は結論だけで良かったのでシンプルなもの。
そう、行列式って線形移動した時の倍率を意味するのか、と分かったのだ。気付いてみれば当たり前の事でここに改めて書くのも恥かしい。行列を掛ける時に、敢えて等倍の行列に焼き直してから移動させて、その後に行列式を掛ければn倍されるんじゃないか。逆変換する時に逆行列を掛けるけど、あの時には行列式を逆数で掛けているのがその証拠なんじゃないか、と思い当たったのだ。
(2)素数と循環小数
ガウスについてこんな記述があった。
「3けたの素数で1を割った値を小数点以下40位まで計算して遊んでいた」
ガウスと言えば、1~100までの和を問われて即座に答えた逸話のある少年。ガッツで計算したのではなく、規則性を見抜いて即答できたのが凄い。そんな天才肌のガウスがそんな地味な計算をしている事に驚いた。
でも、そんな事をして何が楽しかったんだろう。私も試しにEXCELで計算してみた。確かに2と5以外は循環小数になっているな。でも悲しい事にEXCELでは小数点以下15桁までしか正しく表示されない。16桁目も書かれているのだけど、これはどうやら17目をroundした値のようだ。
<素人のEXCEL作業>
EXCEL操作しながら、山口昌哉(昔の京大教授)の本で読んだ事を思い出した。確か0.99999と1は違うって話が掛かれていた(と記憶している)。あくまで極限を考えるから同じになるだけ。前にどこかに提出した文章を再掲する。
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循環小数は直感的に掴みにくいが、級数を使った表現を用いる事で、簡潔に有理数であると示す事ができる。例えば、
0.6363636363…… =0.63+0.0063+0.000063+0.00000063+……
=63/100+63/(100)2乗+63/(100)3乗++63/(100)4乗+……
これは初項=63/100、公比=1/100の等比数列になっているので、公式に代入すると
(63/100)/(1-(1/100))となり、これを計算していくと7/11になる。0.6666……=2/3も同様。
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限界を超えた部分はネットで調べてみた。循環小数の桁は当該素数から1を引いた数の約数になっているとか。勿論2と5を除く。そんな規則性をガウス少年も気付いてしまった。で、それがホントなのか地味に確かめていたのだろう。
流石はドイツマルク紙幣に肖像が載っていた偉大な数学者だな。敬服してしまう。現代であればIT技術で小数点以下の計算も一発でできるのだろう。でもガウスの時代にはコンピュータなんて代物は存在しなかった。どれだけ膨大な手間を掛けて手計算したんだろうか。気が遠くなっていたのか、それとも何か発見できる喜びに推されて嬉々としていたんだろうか。
※参考サイト:ニッセイ基礎研究所、tsujimotter、近畿大学
https://www.nli-research.co.jp/report/detail/id=73746?site=nli
https://tsujimotter.hatenablog.com/entry/2014/04/08/212954
https://www.math.kindai.ac.jp/laboratory/chinen/junkan_f/junkan.html
(3)2種類の調和
ポアンカレが「数学の本体は調和の精神である」と言ったとか。岡潔は調和には2種類あると語る。1つが真の中における調和、もう1つが美の中における調和であり、ポアンカレのそれは前者に相当するとか。
確かにそれは尤もだと思う。例えば雪の結晶のように、左右対称で60°回転しても対称性は保たれる。それはアラビアの壁画とかに描かれているデザイン的な均整の取れた美しさだ。
ただ、スパッと対称的である事が美的に美しいのかは別の問題になる。例えば、キティちゃんのリボンは2つの意味でアンバランスだ。中央に配しているのではなく、右耳にかかっていたんじゃないか。それとリボンの大きさも均一ではなく、微妙に左右差を付けている。親しみやすいキャラクターになるにはこの絵柄でしっくりくる。これが岡潔の云う所の「美の中における調和」のサンプルじゃないか。
(4)算術は演繹的に
著者は戦後の教育で帰納的に習っている事を杞憂している。
[参考]帰納的: 個々の具体例から一般的な結論を得ること
演繹的: 一般的な前提から出発して論理的に個別な結論に至ること
自然に秘められているものを掬い上げるのが数学の使命と考えるからそうなるのだろう。でももうちょっと言葉を補って欲しいな。