踏抜き場を抜けてしばらくすると、山頂に出た。右手直下に余呉湖、左手に琵琶湖を望める。眺望はかなりいい。

 

<力尽きた柴田勝家像>

 

敗軍の将は哀れ。もしかして柴田勝家もこの光景を見つつ、秀吉に追い詰められたのか。賤ケ岳の戦いは1583年4月なので雪は溶けて緑まぶしい季節だったのかも。

 

ちなみに今年の大河ドラマ「どうする家康」のサイトで柴田勝家を紹介。

https://www.nhk.or.jp/ieyasu/cast/shibatakatsuie.html

 

<余呉湖を眺める、こちらは伊吹山方面>

 

 

山頂には山頂碑より目立つ「七本槍古戦場」の碑が立っている。

 

<七本槍古戦場の向こうは高島トレイルか若狭の山、琵琶湖>

 

 

山頂には10名以上の登山者がランチ休憩していた。前日の小谷城が消化不良だったけど、この日は最高の雪山だった。

 

但し、注意点もある。膝が悪い人には厄介かも。下りではやや固めの雪道でかかとをガシガシ落として大股で勢いつけて歩いて戻った。当日は足裏が軽く痛んだ程度だった。翌日になると前十字靭帯が切れてそのまま放置している右膝が久々に痛んで参った。

 

<雪山をアップで(2)、くつろぐ登山者>

 

 

 

米原まで戻る途中、滋賀の雪景色をずっと見ていた。田舎の雪景色は美しい。今度の冬にはJR余呉駅、近江塩津駅の先にある敦賀とか若狭湾方面まで進出したいと思ったのだった。若狭富士(青葉山)が手ごろそうだ。

 

車窓左手には伊吹山が圧倒的な存在感を示している。山全体が白く光っていた。それにしても山肌に刻まれたあのジグザグの線はなんだろう。積雪記録を持つヤマにいきなりアイゼンで登るのは無茶だし、まずは夏山からだな。

 

<帰路は米原方面へ(2)>

 

 

ちなみに伊吹山はこの半年後、2022年8月に登ってみた。ここはスタート地点の標高が低いので夏場だと3合目まで登るのにかなり疲れた。