豊橋と言えばヤマサのちくわ。個人的には刻んだ山芋を入れた練り物が好きだ。偶に店頭で見かける上真丈(上新丈?)もソフトな口当たりがいい。確か山椒の葉が乗っていたような気がする。
かつての地名は吉田。東海道五十三次の宿場に吉田や二川がある。個人的には湖西連峰を歩くのに豊橋サイドにいくつも登山口があるので助かっている。
ドラマとの関連で語るとTBS「陸王」で豊橋国際マラソンが出てくる。今でも路面電車が走っているのでロケ地として上手く成立していた。
(1)家康との関わり ※引用文は斜体表記
西三河や奥三河だと家康ゆかりの地が多いのだが、なぜか東三河の豊橋ではなかなかヒットしない。家康らしきマンガチックな座像を見つけたものの、それも本人と断定されたものではなさそう。
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豊橋市を含む東三河は、家康公生誕の地である岡崎市と、躍進をとげた浜松をつなぐ中間地点として、ゆかりの地が点在しています。本市には、家康公がこの地域に火薬の製造を任せていたことが発展の由来となった手筒花火をはじめ、酒井忠次が城主をつとめた吉田城址など関連する史跡や逸話があります。
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※出典
https://www.city.toyohashi.lg.jp/53652.htm
家康の遠州侵攻は陣座峠だったし、信玄が三河へ西進したのも宇利峠だったので、当時は東海道が地理的に安定していなかったのか。まあ、徳川四天王の酒井忠次が吉田城を治めていたので吉田は盤石だったのだろう。最近になってやっと見つけたのが三河平定に関する記述だ。
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1560年5月、今川義元が桶狭間の戦いで、織田信長に討たれると、1565年には、今川家から離反した松平家康(徳川家康)が大原資良の吉田城を9ヶ月に渡る兵糧攻めを行った。陥落後は、重臣の酒井忠次が、吉田城主として入ります。
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※出典
9月のNHK「鶴瓶の家族に乾杯」で広瀬アリス(於愛の方役、のちの西郷の局)が掛川市で苦戦していた。それを見ていたら於愛の方の母方に「三河西郷」なるワードが出てきた。うん? 湖西連峰を豊橋に下山してきた所に西郷小学校があったな。調べてみるとやっぱり於愛の方に繋がるエピソードが見つかった。
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お愛の方は、西郷正勝の孫で西郷義勝が戦死した後、西郷清員(きよかず)の養女となりました。やがて、徳川家康の側室となり、西郷の局とよばれて、2代将軍となる徳川秀忠を生みました。美人で、また温和な性格であり、家臣たちにも慕われていたそうです。
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※出典
http://www.toyohashi-c.ed.jp/saigou-e/index.php?key=jo8mfbim9-203
(2)写真紹介
<西郷小学校の校庭フェンス> ※再掲
※出典ブログ(2020年秋)
(3)私がアップしたAmeba記事(複数回に分けた投稿は①のリンクを付けた)
・葦毛湿原
・石巻山
・赤岩口から大知波峠へ
・嵩山から本坂峠
・普門寺から多米峠
(4)まだ紹介できていないスポット
なし
(5)これから行きたい所
・嵩山宿~豊川~御油の姫街道ルート