今日は海外旅行ネタだけどパラオの話ではなく、アントニオ猪木の追悼記事。プロレスファンとしては、これを書かずにはいられない。

 

燃える闘魂・アントニオ猪木が亡くなったのだ。この訃報はとにもかくにも哀しい。

 

<アントニオ猪木とパラオ・コロール島にて>

 

(1)猪木ファンとして

NWF世界ヘビー級王座のベルトを賭けてT・J・シンやスタン・ハンセンとの闘いを繰り返した。昨日、懐かしくなって久々にハンセンとの試合をYouTubeで見てしまった。一番ドキドキ興奮したのは、ブルーザー・ブロディが新日本プロレスに移籍した当初のシングルマッチだった。

 

自分が最強である事もリングで誇示できるけど、猪木の魅力はそれだけではない。対戦相手の得意技も体を張ってキチンと受け留めて、魅せ場を作って試合を作りあげる事ができる。延髄斬りとか卍固めなど決め技もいいけどそれだけではない。インディアン・デスロックで観客席を盛り上げる事も忘れない。こうした場を作るエネルギーは猪木が最高、もしその才能を受け継いだレスラーがいるとしたら、やっぱり長州力しかいないだろう。

 

アントニオ猪木が参議院議員選に立候補した時には2回ともキチンと投票している。野球選手が立候補した時にも、迷わずスポーツ平和党と書いた。パキスタンや北朝鮮を訪問できる勇気と行動力は他の政治家に備わっていない。私は全くの無宗教だけど、もし猪木教があったら入信していたかも知れない。

 

プロレスでも他分野でもそれだけのパワーを見せつけてくれた偉人だった。IWGP決勝戦とか古舘伊知郎がまくし立てていた「鉄拳制裁」、アントン・ハイセル、UWF設立当時の真相などよく分からない部分もあったけど、それはそれとして衆人の耳目をずっと集められる存在だったのだ。

 

(2)パラオのレストランで

すっかりプロレス熱が冷めた後、2011年3月に私はパラオにいた。パラオのダイビング・シーズンは11月~3月。ダイビング・ライセンスこそ持っていないけど、私はパラオでダイビングを覚えて、何度か体験ダイビングをしている。「海って碧いんですね~」と至極当たり前の事を言って、ダイピング・インストラクターを呆れさせてしまった事もある。それくらいパラオの海は綺麗に澄んでいるのだ。

 

3回ほどリピート訪問したカープ島で体験ダイビングしてから、コロール島に戻ってきた。この日の深夜にいよいよ帰国なので、最後にちょっといいレストランに入る事にした。グアム経由の深夜便なので閉店間際までしっかり粘るつもり満々でビールを注文したのだ。

 

そこで食べていると、何やら大柄の男性が入って来た。ミクロネシアなどパラオの人々は横にボリュームがある体格であって決して身長が高い訳ではない。どうやら日本人。それにしてもアゴがしゃくれている。しかも、Tシャツ姿で首からタオルを掛けている。

 

もしかしてアントニオ猪木じゃないか!

えっ!

 

最初は様子を伺っていた。でも、意を決して「猪木さんですか? ファンです」と話しかけてみた。こっちは金曜日夜8時にワールドプロレスリングの中継を欠かさず見ていたし、「週刊ファイト」も愛読していた立場。もうドキドキして動悸が抑えられなかった。


パラオにはイノキ・アイランド(無人島)があるけど、それとは関係なくCM撮影で来訪されていたと話してくれた。他にも二言三言ほど話した。如何せんこっちとしては緊張していたので、あとは何を喋ったのかサッパリ覚えていない。

 

ちょっと間を置いてから、一緒に写真を撮って欲しいとお願いしてみる。心良く応じて頂いた。それが冒頭の写真。享年79才で、この時が2011年3月だったので当時の猪木は68才だった事になる。

 

レストランのウエイターさんにカメラを託したのだが、猪木さんに近い方から撮影してくれたので、猪木さんと私で顔の大きさも肩幅も実体以上に対照的なコントラストになってしまった。


素直にサインもねだれば良かったのだが、ちょうど猪木さんのツレの3名がおっとり刀で来られてその機会を逃してしまった。思えばおっとり刀ってワードも、古舘伊知郎がアントニオ猪木の実況中継で盛んに使っていたなあ。


これは私にとって宝、本当にいい記念になった旅の1枚なのだ。

 

※以前に書いたプロレス関連ブログ

 

 

謹んでご冥福をお祈りいたします。